吊るし雛

イメージ 1

[エッセイ 340]
吊るし雛

 話しには聞いていたが、実際に目にしたのは平塚の七夕のときが初めてである。にわか雨で、たまたま逃げ込んだ人形店に、たくさんの小さなぬいぐるみが連なって吊るされていた。そのときは、飛騨高山の“さるぼぼ”を連想しただけで、私の意識からは少しずつ遠ざかっていった。

 それが吊るし雛で、稲取温泉が本場であると知ったのはさらに後年のことである。そんなことから、次に稲取に行く機会があったら、ぜひ見てみたいと思うようになった。雛まつりと河津桜のシーズンがほぼ一致するので、そのチャンスは意外に早くやってきた。

 稲取には、常設のほかシーズンだけの臨時の展示場も用意されていた。中央に立派な雛飾りが鎮座し、その両脇に吊るし雛が下げられている。そのような展示コーナーが、趣向を変えてたくさん設けられている。雛飾りと吊るし雛が互いに引き立て合い、賑やかさと華やかさの両面から相乗効果をあげていた。

 この吊るし雛の起源は、江戸時代後期にさかのぼる。女の子が初節句を迎えたとき、無病息災と良縁を願って雛段の両脇に吊るしたのだそうだ。もっとも、私が“さるぼぼ”を連想したように、雛人形が買えなくて親が代わりに手作りしてやったのではなかろうか。その子が無事成長し、7歳や成人、あるいは嫁入りなどの節目を迎えたとき、どんど焼きで焚き上げたそうだ。

 吊るされる雛は、赤ん坊の手ほどの小さなぬいぐるみである。つくられるのは、うさぎ、巾着、柿、三番叟、俵ねずみなど、願いの中身に応じて50種類にも及ぶ。これらは、長さ170センチの赤い糸に、11個が並べて結びつけられる。桃、猿っ子、それに三角も必須アイテムとして加えられる。桃は長寿、猿っ子は魔除け、そして三角は薬袋や香袋の意味をもつそうだ。

 ぬいぐるみの連なった赤い糸5本を、直径30センチのさげ輪に吊るす。吊るされる数は全部で55個、それを雛人形の両脇に吊るすのが基本型だそうだ。ぬいぐるみの数は合わせて110個となる。

 吊るし雛は全国に3つの原形がある。福岡県柳川市の「さげもん」、山形県酒田市の「傘福」、それに稲取の「雛のつるし飾り」である。しかし、この3つの関連性については明確な定説はない。稲取では、“吊るす”という言葉は縁起が悪いというので“雛のつるし飾り”と呼ぶそうだ。

 折しも、この24日は旧暦の3月3日にあたり、本来の雛まつりの日である。娘の幸せを願う親心は、昔も今も変わりはないはずだ。立派な雛飾りでも、手作りの粗末な吊るし雛でも、飾る親の心さえこもっていれば、神様は娘たちに平等に幸せを与えてくれるはずである。
(2012年3月24日)