お雛さま

[エッセイ 48] (既発表 2年前の作品)
お雛さま

 わが家では、いま、ほぼ10年ぶりにお雛さまが飾られている。長女が嫁いで以来久しぶりにお目にかかる晴れ姿である。私の誕生日は建国記念日と同じ日であるが、今年は節目の年齢にあたることから長女の一家4人がお祝いにきてくれることになった。なにか賑やかになるものはないかと考えていたら、雛祭りが近いということに気づき久しぶりにお雛さまを飾ることにした。

 わが家の雛人形は、長女が誕生した時、家内の実家から贈られた御殿雛である。最上段に3棟続きの御殿が据えられ、親王の殿と姫を中心に三人官女随身が配置されている。普通の段飾りでは3段に分けて飾るものを、こちらは最上段の御殿の周辺に全部集め賑やかに飾り立てている。それから下の五人囃子や衛視あるいは小物などの配置は普通の7段飾りと同じである。

 古来中国には、3月3日を上巳(じょうし)の節句として、水辺で身体を清め、宴会を催して災厄を祓うという風習があったようだ。一方日本には、古代から禊祓(みそぎばらい)の思想や人形(ひとがた)を水に流して自分の厄を洗い流す流し雛の風習があった。雛祭りは、こうした中国の上巳の節句と日本の流し雛の風習が結びついて、室町時代以降に女の子のお祭りとして盛んに行われるようになったといわれている。

 3月3日といえばやっと梅の花が盛りを迎えたころ、啓蟄が数日後に迫っているとはいえ春はまだ浅い。桃はまだつぼみが固い時期なのになぜ桃の節句なのだろうと思っていたら、やはりというべきかそれは旧暦であった。

 私の長女は最初にも触れたとおり立派なお雛さまを持っているが、実家であるわが家に置きっぱなしになっている。その長女の長女つまり私の孫が生まれたとき、その雛人形で間に合わせず新しいお雛さまを買い与えた。ある意味では、大変無駄なことであり粗大ゴミを買い足す結果になってしまったが、そこはやはりジジ心、ババ心というところであろうか。

 一方、私には終戦直前に生まれた妹がいるが、雛人形には縁がなかった。日本が歴史上もっとも困窮した時期であったので無理もないことではあるが、彼女にはいまさらながらかわいそうであったと思う。

 それにしても、なぜ平安王朝絵巻なのだろう。貴族社会を尊ぶような人形の作り方、階級社会を象徴するような飾り方、なぜ知的といわれるオバサマ方から抗議の一つも聞こえてこないのだろう。一方で、「その季節になっても飾ってやらないと・・」、「その時期が過ぎても片付けてやらないと・・」という声がどこからともなく聞こえてくる。

 出し入れに手間がかかる、保管場所に困るなど大変厄介物ではあるが、平和と繁栄があってこそのお雛さまでもある。
(2004年2月21日)