静香劇場

[エッセイ 115] (新作)
静香劇場

 朝、ふとんから手を伸ばしてテレビをつけたら、アメリカのコーエン選手が演技を始めるところであった。初日トップの彼女は、オリンピックの魔物に足をすくわれたのか、気の毒に2回も転んでしまった。
 
 つづく荒川選手は、ゆとりのある堂々とした態度で銀盤に立った。トゥーランドットに乗った至高の舞は、確かさと多彩さのなかにも優雅さを極めた。ジャンプは力強く、安定感に満ちていた。これで、彼女の銀以上が確実になった。終盤、イナバウアーに移るころ、なぜか私の目からは涙があふれてきた。
 
 トリノ冬季五輪は、終盤の14日目、フィギュアスケート女子のフリー決勝を行い、荒川静香選手が金メダルを獲得した。高く掲げられた日の丸、厳かに響きわたる君が代、私たち日本人が待ちに待った光景である。
 
 彼女は、数ヵ月前になってコーチを変えたという。最高難度の技を確立するための、ぎりぎりの決断だった。もとより、そのあとの血を吐くような練習の厳しさは想像に難くない。そして、会得した技を最大限に発揮させるために、大会直前になってテーマ曲も変更した。
 
 荒川選手が新たに選択した「トゥーランドット」は、「マダム・バタフライ」で日本にも馴染みの深いイタリアの作曲家、プッチーニの最後の作品である。この曲は、開会式の終盤、突如現れた“オペラ劇場”で、世界三大テノール歌手、パバロッティが朗々と歌いあげたものでもあった。彼女自身、この偶然のめぐり合わせに運命的なものを感じたという。

 この2週間、「メダルは今日もだめだったね」というのが朝の口癖になってしまった。4年前、多くの選手が、この悔しさは必ず次の大会で晴らしてみせるといっていたのに、誰一人としてそれを果たせなかった。今回も、同じような台詞をたくさん聞かされたが、なぜかむなしさだけが透けて見えてくる。

 日本は、この大会に112名の選手を含む総勢238名にものぼる大選手団を送り込んだ。その成果をメダルの数で見ると、全84種目、金・銀・銅、合計252個に対し、獲得できたのは荒川選手の金1個だけである。参加することに意義があるとはいってみても、あまりにも寂しすぎる言い訳ではなかろうか。

 今大会も、有望視された多くの選手が、本来の実力を出し切れないまま去っていった。そうしたなかで、荒川選手はこの大会に最高の状態で臨み、最高の演技ができるよう、周到な準備とコンディションの調整をすすめてきたという。そして現実に、いままでの最高点をたたき出して金メダルを勝ち取った。

 荒川選手が、この大会にむけてつくりあげてきた過程と心構えを、もう一度みんなで真摯に噛みしめてみる必要があるのではなかろうか。
(2006年2月27日)