[エッセイ 49] (既発表 2年前の作品)


 わが家の近辺では、いまほとんどの家で梅が咲いている。2月の上旬から花をつけ始めたのはおおかたが紅梅であった。その紅色はだんだんと色あせ、白梅に取って代わられようとしている。

 わが家には、想いのままという種類と豊後梅という2本の梅の木がある。

 想いのままは、1本の木でありながら枝によってピンクと白の2種類の色を咲き分ける。実はつけないが観賞用としては大変きれいな花である。一方の豊後梅は、木の立ち姿や花のつけ方は桜と見まがうばかりに悠然としており華やいだ雰囲気をもっている。6月には大ぶりの青い実をつけ、私達を二度楽しませてくれる。

 梅というとすぐ天神さまを、そして菅原道真を連想する。「東風吹かばにほいをこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」この歌は、901年2月、彼が大宰府に左遷される時に都の自宅で詠ったものといわれている。菅原道真は大変な秀才であり官僚のナンバーツーにまで上りつめたが、醍醐天皇を廃し斉世親王を立てようとしたという陰謀の濡れ衣でその地位を追われることになった。

 彼は2年後の903年、失意のうちに59歳でその地で没した。彼の没後数年の内に、都では不吉なことが立て続けに起こった。高級官僚や皇太子までが次々と病に没する。不順な天候が続き宮中には落雷まであった。さては、菅原道真の怨霊によるものではとの噂が都中に広まった。

 人々は、彼を神として祭り上げ、この災厄から逃れようとした。947年、ついに北野の地に天満宮が建立され、彼の好きな梅の木が植えられた。彼が学問好きで大変な秀才であったことにあやかってか、梅の開花時期と受験シーズンが重なったためか、いつしか学問の神さまとして崇められるようになった。

 「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という格言がある。梅は毎年きちんと剪定してやらないと風情のある木にならない。桜は、枝を切ってしまったら台無しになるということである。梅は奈良の時代から人々に愛されてきた。百人一首には、120首近い梅の歌が詠まれているそうだ。それにひきかえ桜のほうはその三分の一程度だという。

 桜は、今でこそソメイヨシノがそのあでやかな姿をひけらかしているが、その品種は江戸末期から明治にかけて江戸・染井、現在の駒込で開発されたもので150年にも満たない歴史しか持ち合わせていない。

 梅は春を呼ぶ花、桜は春を謳歌する花。桜がハタチ前のおてんば娘なら、梅は落ち着きのある大人の女性といったところか。風情のある枝ぶり、控え目な可憐な花、それでいて一本一本、一輪一輪がちゃんと個性を発揮している。花が終われば律儀に実をつける。芯の強さがひときわ光る。気が付けば、花も実もあるその人は、いつもあなたのそばにいる。
(2004年2月27日)