観梅ウォーキング

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[エッセイ 337]
観梅ウォーキング

 昨日の日曜日、町内の高齢者9人で曽我梅林周辺のウォーキングに出かけた。曽我と聞くと、すぐ「曽我兄弟の仇討」を連想する。途中に、曽我兄弟の母親・満江御前のお墓もあった。ところが、曽我兄弟という名前と仇討は知っていても、それから先の具体的な話になると、誰も踏み込むことができなかった。

 さっそくネットを開いてみた。曽我兄弟の仇討は、曽我十郎祐成と曽我五郎時致の兄弟が、父親の仇である工藤祐経を討った事件である。建久4年(1193年)5月、源頼朝主催の、富士の巻狩りの最中のことである。「赤穂浪士の討ち入り」と「伊賀越えの仇討ち」に並ぶ、日本三大仇討ちの一つとされている。

 安元2年(1176年)10月、河津祐泰は父・伊東祐親に従って狩りに出る。そのとき祐泰は、所領争いがもとで恨みを抱いている工藤祐経に暗殺される。祐経にとって、祐親は叔父であり祐泰はいとこであった。殺された祐泰の妻・満江御前は、幼い2人の男の子を連れて曽我の曽我祐信と再婚する。2人の男の子は曽我で成長し、16年後富士で父親の仇である祐経を討ち果たす。

 曽我梅林の総面積は約45ヘクタール、そこに3万5千本もの梅の木が植えられている。本来は梅の農園だが、花のシーズンになると梅まつりが行われ一般の観光客にも開放される。例年なら、梅祭りは2月末で終わるが、今年は開花が遅れたために1週間延長されるそうだ。

 9時過ぎに最寄り駅で待ち合わせし、東海道線国府津に向かった。ここは御殿場線の乗換駅である。曽我梅林は、その一つ目の下曽我駅周辺に広がっている。私たちは、国府津駅からそのまま丘陵地帯を巡る散策コースに入った。コースには、「国府津・曽我の里散策コース」という名前がつけられている。高齢者たちは、小高い丘陵の尾根道を北に向かってゆっくりと進んでいった。

 コースの最高地点で休憩をとるとき、背中の汗がリュックサックまで濡らしているのに気がついた。この日はどんよりとして寒ささえ感じさせたのに、急坂は体内のエネルギーを絞り出していったようだ。私たちは、そこから少し下った見晴らし台で弁当を広げた。眼下に梅林が広がり、遠くに箱根の山々が連なる。本来なら、富士山も見えるはずだが雲がそれを覆い隠していた。

 梅林まで下ってきた私たちは、今度は園内の散策を楽しんだ。まだ五分咲きにもなっていないというのに、例年にも勝る賑わいを見せていた。最終目的地の下曽我駅に着いたのは午後2時ごろだった。心許せる人たちとの、おしゃべりをしながらの約10キロのウォーキングは想像以上に楽しかった。
 
 あとは、お決まりの小宴が待っていた。ウォーキングの後だから、いつにもまして小宴が盛り上がる。小宴があるから、ウォーキングがいっそう楽しくなる。
(2012年2月27日)