冷夏

イメージ 1

[エッセイ 29](既発表 6年前の作品)
冷夏

 先週の金曜日、しばらくぶりの暑さに見舞われた。その日の天気予報は、「今日は、今年最後の真夏日になるだろう」といっていた。今年の夏は暑い日があまりなかった。

 暑くない夏は、なぜか寂しく物悲しささえ感じさせる。お盆で帰省したときも、夏らしくない天候が続いた。私の田舎では、毎年8月14日に年1回の盆踊大会が行われる。その日は朝から雨模様でやきもきさせられていたが、さいわい夕方には晴れ上がった。母は盆踊りが大好きで、今年も楽しみにしていただけに天候の回復はことのほか嬉しかった。

 盆踊り会場は、部落の中央部にあるみかんの選果場前の広場である。私の部落は、人口の減少と高齢化によって普段は静かであるが、その日は、お盆の帰省客も多く久しぶりに活気づいていた。母は、痛む足を引きずるようにしながらも楽しそうに踊っていた。それにしてもやたらと寒かった。私は最初から「見るあほう」を決め込んでいたが、寒さにだんだん我慢できなくなってきた。とうとうその場を離れ、あまり風の当らないところに身を隠した。

 10年前、その年も冷夏であった。米は不作になり、外国から緊急輸入されることになった。しかし輸入された米は日本人の味覚に合わず不評であった。美味しくいただくためのアイディアも、メディアを通して数多く紹介された。わが家では、タイ米にオイルを数滴たらして炊いてみた。オーストラリア米がいけると聞いて試したりもした。政府は、日本米は十分な備蓄があるので品不足など起こりえないと説明していたが、混乱の収拾には長い期間を要した。

 夏はより暑く冬はより寒くなければ、経済はうまく循環しない。もし冷夏になってしまったら、夏物衣料は在庫であふれ、海や山の行楽地はカンコドリが鳴くことになるだろう。ビールなどの飲料メーカーは、減産でひまを持て余すことになるかもしれない。農業は大きな打撃を受け、農家の人たちは財布のひもを固く結んでしまうにちがいない。

 カネは天下のまわりものである。経済の循環は、その循環過程で一個所でも滞ってしまったら、たちまち全体を停滞させてしまう。景気の循環は、心理的な要因に左右されがちである。そのため、季節としての「らしさ」をことのほか強く求めている。

 私は暑さ寒さにかなり敏感な方なので、今年の冷夏には救われた。仕事は予定以上にはかどった。しかし今年は冷夏が確実視されその影響が心配されている。せっかく上向きかけた景気がまた冷え込んでしまわないだろうか。農作物への影響、とくに米の作況に重大な支障はないだろうか。これからも、おいしい米を安心して食べられるだろうか。心配の種は尽きない。
(2003年8月29日)