古文書とルーツ

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[エッセイ 18](既発表 6年前の作品)
古文書とルーツ

 古い友人から、古文書の英訳を頼まれた。彼の奥さんの叔父さんは、日系移民の二世でハワイに住んでいる。彼はその叔父さんから、先祖代々の来歴について調査を頼まれた。調査はうまくいったが、叔父さんは日本語が得意でない。そこで、どういうわけかその英訳作業が私のところに回ってきた。

 驚いたことに、その原稿はおよそ140年前の慶応2年に書かれた古文書を、そのままパソコンで書き写したものであった。文字は明確であるが意味のよくわからないものが各所に出てきた。英訳より、まずその古文書を理解することが先であった。ここで、その書き出しの部分を少し紹介してみよう。

 「そもそも我が○○家の由来を尋ねるに、本先祖は紀州須河(すごう)と言う所の住人にて修験者であった。明徳5年(1394年)6月に、同国、白山大権現を移し奉り、尊容を作り、同じく葛城山(原文はか津らぎ山)の聖観世音の尊容を作った。その時の帝は後小松院様、将軍は足利義満の時代であった。

 その後、世は、乱世となって嫡世嗣墨山なる者、故あるを以って、この白山大権現と聖観世音の両部を背負い、夫婦共に紀州の国を立ち出でた。・・・」

 実は、この辺から使われている用語がだんだん難しくなってくる。難解な言葉としては、「石坪地検」「證人」「永名差」「御紋上下」「給庄屋」などが代表的なものである。結局、理解はできたが外国人に納得してもらえるような英語の表現となると、私の語学力をはるかに超える難事業であった。

 私の長男も、高校のころからわが家のルーツについて無性に知りたがるようになった。ある夏、田舎に一緒に帰ったとき、お寺に行って過去帳を見せてもらおうということになった。出かける段になって、親戚の人から何万円か包んでいかなければならないといわれ断念した記憶がある。

 私にとってのルーツとは、故郷の山河や街並そしてそこに昔から住んでいる人々とその営み、そのすべてがルーツでありそれ以上でも以下でもない。そこにあるすべてのものが、何百年という歴史の上に成り立っているからである。

 いまさら家計図を見つけてみても、それは単なる図形でしかない。先祖がどのようにして家を興し、2代目以下がどんな苦労をして盛り立てていったのか。そうした過程の記述なら、興味深い来歴でありルーツとしての価値がある。

 わが家の子供たちにとっては、われら夫婦が最初に家庭を持った場所が故郷である。しかし、そこはいわばパラシュートで降り立ったような、わが家にとっては縁もゆかりもない土地である。そうした歴史の裏づけを持たない二世たちにとっては、たとえ家系図程度の情報であっても、彼ら自身のアイデンティティを確立する上でどうしても知っておきたい大切なルーツなのかもしれない。
(2003年6月5日)