光の祭典

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[エッセイ 4](既発表 6年前の作品)
光の祭典

 昨夜から「東京ミレナリオ」がスタートした。私の推測では、ミレナリオとはイタリア語で千年祭(英語ではMillenary)を意味しているらしい。したがって、そのお祭りは西暦2千年の区切りを記念するもので、今回で4回目というのは合点がいく。

 丸の内の仲通りを舞台に、クリスマスイブに引っ掛けて年末の恒例行事に育てられようとしている。この街は、日本最古かつ第一級のビジネス街ではあるが、夜間と休日はゴーストタウンになってしまう。その丸の内を活性化させようと、ブランド店の誘致や丸ビルなどの再開発事業と並行して始められた催しものである。
 
 一方関西には、似たようなお祭りで「神戸ルミナリエ」というのがある。こちらもイタリア語から引用されたもので発光体(英語ではLuminary)が語源ではないかと思われる。こちらは、1995年からすでに7回開催されている。

 その年の1月、阪神淡路大地震という大惨事が発生した。神戸はその最大の被災地であった。このお祭りは、大地震の惨事から立ち直り再び街に活力を呼び戻そうとして始められたものであるが、そのねらいはあの惨事を再び繰り返してはならないという方向に変わってきている。
 
 私は、この2つの祭典は名前もデザインも同じだものだとばかり思っていた。宣伝ポスターなどを別々に見るかぎり、誰もがそう思うに違いない。ところがあるとき、偶然にもこの両者を比較してみる機会を得た。デザインも名称もまったく別のものであることがわかりびっくりした。
 
 これら2つの祭典の名前やデザイン、そしてその始められた動機は異なるが、そのルーツは同じところにあった。これらのエンターテイメントはいずれもイタリアから導入され、イタリア人の手によってデザインされたものである。光によって飾られたアーチは、きわめてエキゾチックでありまたファンタスティックでもある。賑やかになりすぎてゆっくり鑑賞できないのが玉に瑕であるが、集まった観客は一様にその壮観な光景に酔いしれる。

 ところで、イルミネーションされた樹木や家屋は私の自宅の近所にもある。最初は、葉っぱの枯れ落ちた庭の木一本をクリスマスツリーのように光る電球で飾っていた。それが、数年のうちに庭全体の樹木を飾るようになり、ついには家そのものまで飾りつけるようになった。この光景は一つの流行となって、街全体に広がるかに見えた。しかし競争はとめどなくエスカレートし、電気代もかさむようになったためか脱落者が続出した。

 いまはまた、最初の1軒だけが華やかにみんなを楽しませてくれている。
(2002年12月25日)

※最近は、昼間しか出かけないことにしているので夜の写真はありません