七夕まつり

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[エッセイ 63](既発表 5年前の作品)
七夕まつり

 平塚の七夕祭りが始まった。国道1号線と並行して走る商店街に、豪華な竹飾りが並ぶ。素材はプラスチック系が主流で、その時々の流行や風俗を敏感に反映した飾り付けになっている。戦後間もない昭和25年に始められたものだが、すでに半世紀を超える伝統行事となっている。(2004年は8月1日~5日)

 私には、山口市に父方のおじいちゃんとおばあちゃんがいた。子供のころ、毎年のようにその山口七夕ちょうちん祭りに参加していた。大内時代に始まる600年の伝統をもつ祭りであるが、笹竹に紅ちょうちんといういたってシンプルないでたちである。夜になると、約10万個といわれるそのちょうちんに一斉にろうそくが点され、幻想的な灯かりのトンネルが現れる。(毎年8月6日~7日)

 仙台在住の5年間は和紙の吹流しに魅せられた。伊達政宗の時代が起源といわれる古い七夕祭りである。和紙にこだわり余分な飾りを削ぎ落とした竹飾りは、江戸の気風を色濃く現代に伝えている。(毎年8月5日~8日)

 七夕は、もとは「しちせき」と読まれていた。七夕は端午の節句に続く五節句の一つである。「たなばた」と呼ばれる現在のような形式は、主に三つの伝説や信仰をもとに形成されていった。

 その一つは、中国の「二星伝説」と日本の「棚機女(たなばたつめ)伝説」である。二星伝説は、牽牛と織姫が陰暦7月7日のころ、天の川で出会う話である。牽牛は中国名。わし座のアルファ星アルタイルのことである。日本では彦星と呼ぶ。織姫は中国名。琴座のアルファ星ベガのことである。日本名を織女星(しょくじょぼし)または織姫星という。日本にも、織女星と彦星のロマンスを取りあげた棚機女という万葉集にも出てくる古い伝説がある。

 その二つ目は、中国の「乞巧奠(きっこうでん)」である。乞巧奠とは、七夕(しちせき)の夜、女子が機織や手芸がうまくなることを願う祭りである。三つ目は、笹に短冊を結びつけ神に祈るという日本古来の風習である。笹竹は、神霊が宿るための目的物、つまり依代(よりしろ)と考えられていた。短冊は、紙で作られた人形(ひとがた)の略式のものと思われる。

 中国から伝わった七夕(しちせき)を、日本の棚機の女(たなばたつめ)と結びつけて「たなばた」と読むようになったのは平安の宮中行事からである。これが庶民に広まったのは江戸時代からのようだ。さいわい日本には、笹に短冊という情報伝達手段があった。いつしか、陰暦のこの夜、短冊に願いごとを書きとめて笹につるし、デート中の織姫星と彦星に託すようになった。

 7月7日はもちろん陰暦である。梅雨と重なる太陽暦と違って、陰暦に相当する8月下旬は星の見える確率が抜群に高い。この時期、素朴で邪気のない純粋な願いは、ストレートにお星さまに届くはずである。
(2004年7月4日)