東京駅丸の内駅舎

イメージ 1

イメージ 2

[エッセイ 357]
東京駅丸の内駅舎

 昼下がりの穏やかな陽光に、赤褐色のレンガと白い花崗岩がひときわ鮮やかに映える。横に大きく広がったレトロなビルは、水色を基調とした超高層ビル群を周りに従え威風堂々とたたずんでいる。

 いままでの駅舎でも圧倒的な存在感を持っていた。しかし、それをはるかに凌駕する建物が、一世紀も前に建てられていたとはとても信じられない。大正初期といえば、この辺りは雑草の生い茂る原っぱだったはずだ。おそらく、国の重要な儀式に使う以外、この駅はただの無用の長物だったに違いない。

 その東京駅丸の内駅舎は、日本の近代化の象徴として5年の歳月と282万円の巨費をつぎ込んで1914年に完成した。総建坪は9,545平米、横幅は335メートルもあり、高さ333メートルの東京タワーを横にしたものよりさらに長い。赤褐色の化粧レンガに白い花崗岩を帯状に配したデザイン、そしてビクトリア調の左右2つのドームが特徴である。

 基礎には何万本もの松の杭が打ち込まれ、躯体のレンガは頑丈な鉄骨で補強されていた。おかげで、関東大震災でもまったく被害はなかった。しかし、終戦直前に、米軍の空襲によってドーム屋根や建物の3階部分を焼失した。2年後には再建されたが、ドーム屋根は切妻屋根となり建物本体は2階建てに姿を変えていた。それでも、2003年に国の重要文化財に指定されている。

 東京駅は、私の第二の人生ともいえる東京生活の、第一歩を印した記念すべき場所である。井沢八郎さんの“ああ上野駅”になぞらえれば、私にとっての東京駅は“ああ東京駅”である。絵はがきでしか見たことのなかった東京駅丸の内駅舎を、憧れの地の原点としていまも見守り続けている。

 それにしても、当時なぜこんな立派な駅舎が必要だったのだろう。駅ビルに要求される機能は、出改札と待合室やトイレなどの乗客サービスのためのスペース、それに駅業務のための事務所くらいではなかろうか。もちろん、それに売店や食堂が加われば、十分すぎるほどの機能が果たせるはずである。

 東京駅丸の内駅舎の場合は、大日本帝国の首都の正面玄関を立派に整えなければならないという使命感から始まったものであろう。しかし、丸の内側の乗降客は少なく、駅舎としての規模はそれほど必要なかったはずだ。そこで考えられたのが、ステーションホテル併設というアイディアだった。そしてついに、新興国の見栄が凝縮された偉大な“箱モノ”が誕生した。

 しかし、今にして、これほどの巨大な遺物がこうまでもてはやされるようになるとは。時代の変化に伴う価値観の変転に、あらためて興味を覚えないわけにはいかない。
(2012年10月9日)