100円ショップ

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[エッセイ 216](新作)
100円ショップ

 いま愛用の、デジタルカメラを買ったときのことである。専用ケースは3千円近くもするので、代用品で間に合わせることにした。引き出しを探していると、香港のPホテルでお土産に買った高級チョコレートのきんちゃく袋が出てきた。気に入ってしばらく使っていたが、どうも出し入れが不便である。

 そんなある日、ふと立ち寄った近所の100円ショップで小銭入れが目にとまった。すぐ自宅に帰り、現物をもってその店に引き返した。店員に訳をいって目の前で入れてみた。ぴたりと納まった。その羊皮の小銭入れは、私のカメラを待っていたといわんばかりであった。長年探し歩いていた財宝に出会った気分である。「本当に100円でいいのですか」。その店はおまけに内税であった。

 以来、チャンスさえあれば100円ショップを覗くようになった。別に買いたいものがあるわけではないが、店に入るだけでとにかく楽しい。毎回、何らかの新しい発見があり、珍しいものにもつぎつぎと出会う。「よくもこんなものまで」と感心もさせられる。欲しいものが100円で手に入れば、勝ち誇ったような気分にさえなれる。新しくできる店はどんどん大型になり、品揃えも豊富になってきた。それだけ、財宝探しも幅が広がり奥行きも深くなった。

 ところで、9万点にも及ぶといわれる膨大な商品群を、どのようにコントロールしているのだろう。消費動向は、スーパーや大型専門店を見ていれば一目瞭然である。商品企画は、その売れ筋商品に的を絞って半歩遅れで追随する。仕入れは、途上国への一括発注でコストダウンを徹底的に追求する。電球や電池などの特殊な商品は、大手有名メーカーから市販品と同じものを超特価で仕入れる。もし不具合が出たら、現品交換で即刻対応する。

 こうした画期的なシステムは、顧客を含む当事者間の信頼関係と既成概念を超えたドライな割り切りの上に成り立っている。

 それにしても、昨今の原材料高にはどう対応しようとしているのだろう。すでにかなり幅広く行われているのが中身を減らす方法である。150円や200円といった新たな価額帯も見受けられるようになった。数千円という高価額商品まで並べられるようになった。トップのD社では、すでに2割以上の品目が超100円商品になっているという。しかし、これも消費者の支持があってのことである。価額転嫁は二の次、まずは徹底した自助努力こそ最優先課題である。

 100円ショップは、100円という具体的かつ衝撃的な価額でデビューし業績を伸ばしてきた。100円という数字の魅力と魔力は、私たちの想像を超えたインパクトを持っている。もしここで、彼らが超100円への道を選択しようとすれば、それは自己否定の道であり、ありふれた雑貨店への転落の道でしかない。
(2008年8月9日)