祇園祭

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[エッセイ 215](新作)
祇園祭

 32基ある山鉾のうち、29基が重要有形民俗文化財だという。先頭の長刀鉾や5番目に登場する函谷鉾は、重さ10トンにも達するそうだ。圧巻は「辻回し」という方向転換である。これらの”重量”文化財は自力では方向を変えられないため、路面に青竹を敷いて水をかけ、人力で90度回転させる。

 京都八坂神社の祇園祭は、こうした数々の興味深い行事を挟みながら7月1ヵ月間続けられる。その中心となるのが、神々の外泊にまつわる神事である。普段八坂神社におられる神々は、7月17日の夜3基の大神輿に分乗されて御旅所といういわば超高級リゾートホテルに渡られる。そこに7泊滞在された後、7月24日の夜、同じ大神輿で八坂神社に還られる。

 御旅所に渡られるときの神事を神幸祭という。その日、神幸祭に先立って神々の渡られる道筋を浄める行事が山鉾巡行である。御旅所から八坂神社に帰還されるときの神事は還幸祭と呼ばれる。この日、還幸祭に先立って行われる行事を花笠巡行という。これら一連の行事の前夜祭となるのが宵山である。

 かつて、山鉾巡行神幸祭(前祭:さきのまつり)と還幸祭(後祭:あとのまつり)の2回行われていた。しかし、前祭が絢爛豪華なのに対し後祭は地味なものであったという。そのためか、還幸祭でも行われていた山鉾巡行は、1966年に神幸祭に一本化され、代りに花笠巡行が行われるようになった。
 
 ところで祇園祭は、祇園神スサノオ牛頭天王)を祀る祇園社に奉納される千年以上の伝統をもつ祭礼である。古くは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)とも呼ばれ、疫病退散のために御霊会を営んだのが始まりとされる。祓いと山車、鉾、風流踊りが中心の、日本の夏祭りの形式を生みだす源流となった。

 祇園の信仰はもともと神仏習合であったが、明治の神仏分離令によりスサノオを祭神とする神道に一本化された。祇園社の総本社である八坂神社は、それを機に祇園の名を捨て所在地の名前に改称した。各地の祇園社もそれに倣った例が多いという。現在、全国各地で祇園祭、天王祭と称する祭りの多くは、京都の祇園祭の影響を受けたものと考えられる。
 
 祇園信仰については個々人の信条に任せるとしても、祇園祭そのものはきわめて興味深くまた楽しいものである。佐原の祇園祭や博多の祇園山笠あるいは小倉の祇園太鼓など、個性的なお祭りも数多く見受けられる。これからも、貴重な無形文化財として後世に大切に受け継いでいきたいものだ。
 
 おりしも、今日24日は還幸祭(後祭:あとのまつり)にあたる。時機を逸してしまったという意味の「後の祭り」という諺はここから生まれたという。あとで悔いが残ることのないよう、今年もしっかりと夏祭りを楽しんでおきたい。
(2008年7月24日)