雷神

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[風を感じ、ときを想う日記](96)6/14
雷神

 先日、「雷雨の中のゴルフ」というエッセイをブログに投稿したら、神職の友人が雷神についてのレポートを送ってくれた。関連する専門書3冊を読破した上でまとめたものだそうだ。大変興味深い記事なので、ご本人の了解をいただいて紹介することとした。

「雷神(らいじん)」
 連太鼓の輪を背負って、手にバチをもった絵や彫刻を、どこかで目にしたことがあると思う。古典においては、竜蛇や小童がその姿とされていた。
 
 雷や稲妻は、天界にいる雷神の荒々しい動きの現れであり、落雷は雷神の地上への示現であると信じられていた。雷が「神鳴り(かみなり)」、落雷が「神立ち(かんだち)」と呼ばれた由縁である。

 農耕民にとって、雷は農業の神であり雨水の神であった。雷光を、イナヅマ(稲妻)あるいはイナビカリ(稲光)などと称したことからも、農耕との密接な関係がうかがわれる。稲光が稲の実を孕ませるという信仰や、落雷があった場所に竹を立て注連縄を張っておくと豊作になるという信仰は、雷神が農耕や水の神であったことをうかがわせる。

 一方、雷は恐ろしい神威を持つ災厄の神でもあった。ある地方では、神立ち追い(かんだちおい)といって、割竹を叩いたり竹の先に鎌を取り付けて追い払ったりした。こういった災厄神の一面は、古事記の黄泉国(よもつくに)の話にも垣間見ることができる。※
 
 平安時代御霊信仰(ごりょうしんこう)では、雷は災厄神として更に強調されることとなった。

 時の右大臣菅原道真は、左大臣藤原時平との確執に敗れ大宰府に左遷された。彼は、2年後失意のうちにかの地で没した。彼の没後数年のうちに、都ではつぎつぎと天変地異がおこり、彼の政敵一門に死者が続出した。さては菅原道真の祟りではないかという噂が都中に広まった。

 恐れをなした朝廷は、彼の怨霊を鎮めるため北野に神社を造営、道真を天満大自在天神・太政威徳天として祀った。

※ヤクサノイカヅチカミ(八雷神)
 カグツチノカミ(火の神)を産んだ時、陰(ほと)に火傷を負って死んだイザナミを追って黄泉の国へ行った夫のイザナギは、約束を破って覗き見をした。
 見たものは、蛆虫にたかられ腐爛した、見るもおぞましい姿であった。その死体には八柱(やはしら)の雷神(いかづちがみ)が宿っていた。頭に大雷、胸に火雷、腹に黒雷、陰にサキイカヅチ、・・。

(参考文献:神道辞典など3冊)