ニューヨークのお宝

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[エッセイ 37](既発表 3年前の作品)
ニューヨークのお宝

 秋吉敏子がジャズオーケストラを解散したという。なにか、とても大切なものをなくしたような気がしてならない。
 
 ニューヨークへ行ったらぜひジャズを聞きたい。それもライブで。一昨年6月下旬、私たち夫婦はニューヨークを観光で訪れた。オプショナルッアーにはもちろんそのようなメニューは用意されていたが、既製品に飛びつく気はしなかった。

 さいわい、私たちが滞在していたホテルの向かい側に、ニューヨーク市観光案内所というのがあった。日本語での相談は無理であったが、秋吉敏子のライブがバードランドというライブハウスで行われるということだけは理解できた。さっそく、通りがかりのホテルに立ち寄り、公衆電話からの予約に挑戦した。
 
 秋吉敏子は手を痛めているとかで、ピアノは弾かず指揮に専念していた。それでも、全米トップクラスのオーケストラの演奏はさすがであった。旅の疲れと時差ぼけで眠気が襲ってくるのもものともせずとことん聞き入ってしまった。
 
 秋吉敏子は1929年12月生まれ、もうすぐ74歳になる。終戦により、生まれ故郷の満州から九州の別府に引き上げてきた。16歳で、ジャズピアニストとしてプロの道に入った。23歳のときオスカーピーターソンにみとめられ、米ジャズ界にはじめて紹介された。26歳で米に留学、そのまま同国に留まりトッププレーヤーの階段を上りつめていった。日本が世界に誇るジャズピアニスト、ビッグバンドリーダーそして作・編曲家である。

 さすがの彼女も、寄る年波に無理がきかなくなってきたらしい。ニューヨークの貴重なお宝としての顔を、少しずつ表舞台から退かせようとしている。

 秋吉敏子のライブ見物が実現したその前日、私たちは自由の女神の見物に出かけた。マンハッタン南端の桟橋からボートで女神の島まで往復し、出発点のバッテリー公園に帰ってきた。海上はるかかなたに見えていたツインタワーは、いますぐ間近にそびえている。

 空港と同じシステムの手荷物検査を受けるのに40分もかかり、やっと世界貿易センタービルの頂上に立つことができた。この高さ、東京タワーの先端を超えているのではなかろうか。名実ともに超絶景であり、貴重なお宝である。この、ニューヨークでしか目にすることのできない見事な佇まいは、二ヵ月半後にはこの地上から消えていく運命にあった。

 いま、ニューヨークヤンキースがその伝統に松井秀喜の魅力を加え、お宝としての価値を増やしつつある。目減り気味のニューヨークの財産は、当面ゴジラヤンキースに補ってもらおう。
(2003年11月2日)