あれから20年・9.11

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f:id:yf-fujiwara:20210912133003j:plain[エッセイ 603]

あれから20年・9.11

 

 夜9時ごろだったと思う。風呂に入っていたら、家内が浴室のドアをたたき、「あのニューヨークの、ワールド・トレード・センターのビルに飛行機がぶつかったらしいよ」と大声で告げた。「間抜けなパイロットもいたものだな」とつぶやきながら風呂から上がってきた。軽飛行機でもぶつかったのだろうと軽く考えていたのだ。ところが、テレビ画面には想像を絶する光景が広がっていた。

 

 2001年6月24日、私たち夫婦は沖の小島に立つ自由の女神の見物に出かけた。観光を終え、連絡船でマンハッタン南端の船着き場に帰ってきた。ふと顔を上げると、女神が設置されているリバティ島から眺めたあのワールド・トレード・センターのツインタワーがすぐ目の前に立っていた。そうだ、あそこにも行ってみよう。空港と同じような保安検査を受けて展望台まで上っていった。

 

 その110階建てのツインタワーに、乗っ取られた旅客機2機が相次いで衝突したのはそれから僅か2ヵ月半後、2001年9月11日のことだった。アメリカン航空111便が乗客・乗員等92名を乗せてノースタワーに、つづいて、ユナイテッド航空175便が乗客・乗員等65名を乗せてサウスタワーに突っ込んだ。先に倒壊したのはサウスタワー、続いてノースタワーも崩れていった。

 

 ツインタワー関連の死者は、ビル内で働いていた人2,192名、消防士と警官414名、旅客機の乗員・乗客147名、それに犯人10名、合せて2,763名だった。ビル内で働いていた犠牲者には、日本人24名も含まれていた。このとき、ペンタゴンに突っ込んだ旅客機と原っぱに墜落した旅客機もあったので、同時多発テロと称される旅客機4機がからむ全体の犠牲者は2,977名にも上った。

 

 アメリカは、犯行は国際テロ組織アルカイダで、首謀者はオサマ・ビンラディン氏と断定した。米軍は、テログループをかくまったとして、アフガニスタンタリバン政権との長いながい戦いへと突入していった。2011年、アメリカの特殊部隊はオサマ・ビンラディン容疑者の殺害に成功した。

 

 アメリカは、一旦はタリバン政権を崩壊させたが、同国での戦いはその後も続き、結局、20年後の2021年8月末をもって撤収を余儀なくされた。ベトナム戦争の最後を彷彿とさせる結末であった。これから先、テロ組織は息を吹き返すのだろうか。アフガニスタン民主化は、女性たちの扱いはどうなるのだろう。

 

 私たちは、あの事件の5年後、2006年5月下旬に再びニューヨークを訪れる機会に恵まれた。そのとき、ニューヨークに着いたら真っ先にあの跡地を訪れたことは言うまでもない。地上にはなにもなく、地下部分の工事がたんたんと進められていた。私たちは、ただただ無言でそこに立ち尽くしていた。

 

 あの事件から20年、跡地には超高層ビルが再建され、その足下では節目の祈りが捧げられていた。これから先、世界は一体どう変わっていくのだろう。

                      (2021年9月12日 藤原吉弘)