優太ちゃん

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[エッセイ 77](既発表 2年前の作品)
優太ちゃん

 生きている。しかもかなり元気そうだ。テレビに映し出された救出シーン。オレンジ色の救助隊員に抱きかかえられたあどけない顔が強く印象に残った。巨岩に押しつぶされた車の中から、92時間ぶりに救い出された優太ちゃんは意外に元気そうに見えた。

 その時、小出町の皆川貴子さんは、3歳の長女真優ちゃんと2歳の長男優太ちゃんを伴い新潟市からの帰りであった。信濃川沿いの県道589号線を走行中、新潟県中越地震に遭った。現場は、断崖絶壁が信濃川に迫る狭い場所を切り開いたところである。

 左側は切り立った崖、右側は信濃川が眼下に迫る。23日夕刻、折悪しくそこを通りかかった皆川さん親子の車に大量の土石が襲いかかった。白いワゴン車は、巨大な岩石に飲み込まれ崖の途中に埋もれた。

 救出作業が始められて1時間余りが経っていた。土砂と巨岩の奥から、かすかな人のけはいが伝わってくる。車と岩の三角形のすき間に、優太ちゃんの姿が確認できた。東京からかけつけてきた、通称ハイパーレスキューと呼ばれる救助隊員たちは、手作業で慎重に土砂や岩を取り除く。隊員の1人が岩の間にもぐり込み、そっと優太ちゃんを抱き上げた。

 飲み水が確保できた。土砂などに保温効果があった。そして、そこは通気のある場所であった。低体温などの危険とも背中合わせのなかで、こんな長時間を生き抜いてこられたのは、こうした幸運が重なったためらしい。一方で、同じ車内にいたお母さんの貴子さんは即死状態だったという。また姉の真優ちゃんは、大きな岩にはさまれて救出まで1ヵ月はかかると見られている。

 その日の夕方、優太ちゃんのお母さんは新潟市から自宅のある小出町に向かって国道17号線を南下していたと推測される。地図で見ると、その国道は長岡市の南端で信濃川を左岸に渡り、小千谷市の市街地を抜けて再び信濃川右岸に戻る大回りのルートになっている。

 大きく迂回せざるを得なかった最大の理由は、断崖絶壁が川まで張り出し幹線道路を通すにはあまりにも厳しい地形であったためと思われる。そこに後年、バイパス的な役割を担う直線ルート、県道589号線が断崖を切り開いて敷設されたのではなかろうか。国道を利用する地元の人は、当然のようにその最短ルートに入っていく。

 もし、国道の大回りルートをそのまま走行していたら。県道を走っていたとしても、もし1分早いか遅かったら事故に遭うことはなかったはずである。過ぎ去った時間に「もし」はないが、こう考えてみるとそこで地震に遭遇したのは運命としか言いようがない。

 優太ちゃんは、運命を超越した紙一重の奇跡のあることを、そして人間の生命力の凄さを、身をもって実証してくれた。
(2004年10月31日)