運動会

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[エッセイ 149](新作)
運動会

 このところ、好天に恵まれて各地で運動会が開かれている。先日も、皇太子ご一家の長女愛子様が、幼稚園の運動会で玉転がしに奮闘されていた。大きな玉が愛子様の意に反してご夫妻のところまで転がりこみ、参加者みんなで大笑いしていたのが印象的であった。

 運動会といえば、場所取り競争が強く印象に残っている。いまなら、青いビニールシートがあたりまえであるが、私たちの子供のころは藁のムシロが普通であった。それを丸めて朝早く出かけていくと、見やすい場所はすでにあらかた占領されていた。

 昼のお弁当もまた格別であった。具のたくさん入った太目ののり巻き、黄色の卵焼きと紅白のかまぼこ、昆布やコンニャクなどの煮しめも定番であった。種類は少ないが、重箱には食べきれないほどの量と温もりが詰め込まれていた。一年に数度しかお目にかかれない、大変なご馳走であった。

 運動会で一番盛り上がるのは、多くの人が参加できる綱引きと、競技の最後を飾る対抗リレーであった。私は、短距離はあまり得意ではなく、もっぱら障害物や長距離にエントリーしていた。一度でいいから、リレーのアンカーでゴールテープを切ってみたかった。

 運動会は、海軍兵学校で「競闘遊戯会」という名前で行われたのが最初といわれている。明治7年、1874年のことである。最初はイギリス人講師の指導を受けたというが、この運動会というイベントは世界に類を見ない日本独特の文化だそうだ。

 明治初期、維新によって社会のあり方が根本から変わった。運動会は、そうした変革の真っ只中で、地域社会の再編成と統合に大いに役立ったという。みんなで作りあげ、総力をあげて盛りあげていくそのプロセスが、地域や組織の一体感の醸成に役立ったものと思われる。

 戦後の高度成長時代、学校はもとより企業や地域社会までが、こぞって運動会の開催に力を入れた。しかし、学校行事としての運動会は、近年、否定的な意見も多く聞かれるようになった。企業では合理化の槍玉に挙げられることも多く、地域では過疎化で人が集まらなくなった、など課題や悩みも多い。

 しかし、運動会は誰もが気軽に参加でき、みな一生懸命になれる催しものである。そして最後には、参加者全員が満ち足りた達成感を味わうことができる。ぶっつけ本番の面白さや、アマチュアならでわのハプニングもある。運動会は、スポーツとお祭りの長所をテンコモリにした素晴らしいイベントである。

 多様化した社会だからこそ、いま一度運動会の意義を評価しなおしてみたい。
(2006年10月18日)