[エッセイ 137](新作)
ニューヨーク・普通の生活の日記⑰「帰国」
空港には、お嫁さんと二人の孫娘が見送りにきてくれた。息子とは、今朝出勤のとき互いに挨拶を済ませていた。またすぐ日本で会えるといいつつも、さすがにつらい別れであった。
今回の旅は、5月の連休のさなかに決断した。息子が正月に里帰りしたとき、おおよそのことは相談していたが、郷里にいる母が気がかりでなかなか決めることができなかった。現に、その2ヵ月後、母が緊急入院して飛んで帰ってきたばかりである。
そんな折、埼玉在住の妹が連休に里帰りしてくれることになった。息子からは、予定が立たないので早く決めてくれと催促されていたが、最終決断はそのときの様子を聞いてから下すことにした。
行くとしたら、季節のいい5月下旬から6月上旬、ボストンとマイアミにも足を伸ばしてみたい。相談しているうちに、5月29日の月曜日は休日にあたり、土曜日からは3連休となることがはっきりした。一方、孫娘のグラジュエイションは6月8日に設定されており、息子は休暇をとるつもりだという。
妹の判断は、可もなく不可もなくであった。私は、それこそ清水の舞台から飛び降りる思いで出かける決断をした。スケジュールはおのずから決まった。東京、ニューヨーク間のキップの購入、マイアミまでの航空機とホテルの手配、これらの案件は連休中にすんなりと終えることができた。
市内の旅行代理店に支払った金額は、アメリカまでの往復航空運賃13万2千円、航空燃料高騰分追加負担3万2千円、空港使用料と両国の出入国税2万6千円、それにマイアミまでの往復航空運賃とホテル代約8万8千円、しめて2人分で27万8千円であった。
それにしても、母になにか異変が起きたらどうしよう。出発前だったら、滞在中だったら、はるか彼方のキー・ウエストで異変を聞いたらどうすればいいのか。フロリダは6月頃からハリケーンのシーズンに入るというが、もしそうなっても対応が可能なのだろうか。心配などというものは、すればするほどエスカレートしてくるものである。
あれから17日が経った。私たちは何ごともなく、持ちきれないほどのしあわせをかかえてニューヨークを後にすることができた。ボーイング777はどんどん北上し、アラスカの北をかすめるようにして日付変更線を越えた。搭乗機は、さらに北極海からオホーツク海に抜け、北海道と東北を縦断したのち成田へと着陸した。往路より1時間多い13時間をかけてのフライトであった。
心配していた母は、その後も変わりないようである。
[写真、上は再建工事中のWTC跡地-早期再建を期待したい。
下は今年お正月に帰省したときの孫娘たち-早く同じ光景を見たい]