ニューヨーク・普通の生活の日記⑬(6/5)「カーネギーホール」

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[エッセイ 133](新作)
ニューヨーク・普通の生活の日記⑬(6/5)「カーネギーホール

もう、クラシック音楽のシーズンは終わっていた。それでも、なんとか両親にカーネギーホールでクラシックを聞かせようと、息子はあれこれ奔走してくれた。その結果が、今夜のコンサート行きに結びついた。

 曲目はモーツァルトの「レクイエム ニ短調 K626」他2曲、演奏はニュー・イングランド・シンフォニック・アンサンブルという室内楽団で、それぞれの曲に数名の独唱歌手と200名近い合唱団がついていた。

 本来なら、このような宗教的な音楽ではなく、もっと華やかな交響曲や私の好きなヴァイオリン協奏曲を聞きたかった。しかし、シーズンオフなのでわがままはいえない。わがままどころか、仕事の帰りに夜遅くまで付き合ってくれた息子に感謝しなければなるまい。

 息子が勤めるビルの1階には、約束どおり午後6時過ぎに着いた。ロビーの総合案内所から電話をしてもらったが、何回かけても話し中であった。やむをえず携帯電話にかけることにし、ビル内の公衆電話を教えてもらった。

 コインを探しているうちに、そこは6時半には締めるからと追い出されてしまった。お札をコインに替えたが、路上の公衆電話はいずれも壊れていた。

 いつの間にかロビーの案内所は閉まりビルにも入れなくなっていた。しびれを切らした息子が外に出てきてなんとか出会うことができたが、あやうくすれ違いになるところであった。どの国も、公衆電話はもうあてにできない。

 実は5年前、ジャズコンサートに行きたくて、市の観光案内所というところで相談してみたことがある。そこの職員は、カーネギーホール秋吉敏子のコンサートがあると教えてくれた。結果的には、場所は「バードランド」というライブハウスの間違いであったが最初の希望は叶えられた。

 ここの舞台に上がるのが演奏家の夢だといわれるが、聞くほうにとっても一度は訪れてみたいクラシックの殿堂である。重厚な外観もさることながら、絢爛豪華な内装と音響のよさは、それが単なる伝説でないことを裏付けている。
 
 今日午前中は、お嫁さんの英語教師のお宅を訪問できた。一人住まいの老婦人であったが、気持ちよく歓待してくれた。アメリカ人の生活を知りたいというこちらの希望も汲んで、庭はもとより家中を案内してくださった。

 お嫁さんは、その帰りにナーサリースクーで孫たちを拾い、そのまま日系のスーパーに案内してくれた。「大道」というそのお店は、小型ながら日本の食材なら何でも揃えていた。それぞれに好みの弁当を買い、昼食は近所の公園で孫たちとのお花見としゃれ込んだ。

 今日は、いろいろな形で家族と触れ合うことのできた実り多い一日であった。

[写真は、カーネギーホールのステージ-5階から撮影]