松と竹

[エッセイ 56](既発表 2年前の作品)
松と竹

 今月半ば、郷里の母が体調不良を訴えたため10日ばかり帰省した。先に帰っていた妹が、竹の子をたくさん米糠入りの水に浸しておいてくれた。妹の話では、他にもいろんな人から竹の子をあげるといわれたとのこと。今年も竹の子が出来すぎ、方々で持て余しているとのことであった。

 そういえば、子供のころ竹の子は結構貴重品であった。あのころ、わが家の山林の隣には親類の竹林があり、毎年うまそうな竹の子が生えていた。ある年、その根の先端がわが家の所有地に現れた。家族みんなで大喜びし、その竹の子を大切に育てた。翌年から、自家製の竹の子を口にすることができるようになったことはいうまでもない。初めて口にしたときのあのしゃきしゃきとした歯触りは、いまでも鮮明に記憶に残っている。

 20年位前から、西日本中心に松が次々と枯れだした。山全体が茶褐色に変り、数年後には白く変色した立ち枯れの幹が醜い姿をさらすようになった。輸入木材と一緒に入ってきた松喰い虫が異常に繁殖し始めたためである。やがて、古里の山は様変わりし、岬の岩から張り出した老松はその風情のあるシルエットを消していった。

 一方、荒地と化した斜面では、威勢のいい若松が濃緑色の針葉を伸ばし周りの雑木を圧倒しはじめた。しかし、少し大きくなった先輩格の若松は、再び茶褐色に変色するという悪循環を余儀なくされている。

 山間部にある広島空港から山陽道広島市街に向かう道すがら、こうした松の栄枯盛衰が手にとるように見て取れる。リムジンバスが市街に近づくと、今度は孟宗竹の林が目立つようになる。人里近くになると、集落の周辺は必ずといっていいほど竹薮に広く覆われ、そしてその藪は確実に山頂に向かって伸びている。

 わが古里の周防大島は、このような状態がいっそう深刻になっている。古里の山という山そして鎮守の森までも、竹薮に覆われかねない危機に瀕している。「菊は栄える、葵は枯れる」と大政奉還の時の状況を比喩した歌があるが、「竹は栄える、松は枯れる」では日本の山河は台無しである。皇居前広場の松ならぬ竹や、神宮の森ならぬ竹薮など想像だにしたくない。

 セイタカアワダチソウブラックバスなど、外来種の被害が取りざたされるようになって久しい。松喰い虫や孟宗竹も、もとは外国から来たものでありその被害は人間の都合から派生した一種の人災である。竹は50年に一度花を咲かせて竹薮全体が枯れてしまうという。

 近年、クローン技術が脚光を浴びてきたが、クローンの塊のような竹の弱点をうまく衝く方法はないものだろうか。松喰い虫にもいずれ天敵が現れるかもしれないが、人間がその天敵になれないものだろうか。いまのままでは、竹の子料理は喉を通りそうにない。
(2004年4月29日)