パリの肉料理

[エッセイ 50] (既発表 2年前の作品)
パリの肉料理

 このたび、私達は38回目の結婚記念日を迎えた。11年前、子供達が独立したのを機会に、初めての海外旅行に出かけた。私の永年勤続記念を兼ねたものであったが、行き先がパリだったせいか、その感動の記憶はいまも鮮明である。

 その日、私達はパリでの2日目を迎えていたが、行動予定は何も決まっていなかった。オプショナルツアーの人たちは、ヴェルサイユ宮殿に行くといっていそいそと出かけていった。我々も、結局そこへ行ってみようということになった。

 ホテルからは、環状線に相当する地下鉄6号線と、RERといわれる近郊鉄道を乗り継いでいけば、なんとか目的地に着けるはずである。初めてのことなので不安も大きかったが、案ずるより生むが易し。いくつかの戸惑いを経験しながらも、約1時間後にはその宮殿で感嘆の声をあげることができた。
 
 あれだけ地下鉄は怖いと脅かされていたのに、自信は人を大胆にする。薔薇のヴェルサイユ、芸術の香り高いモンマルトル、そしてフランス革命の最後の舞台となったコンコルド広場へと、地下鉄とRERを七回も乗り継ぎ、夕方にはシャンゼリゼ通りを歩いていた。

 薄暮の向こうにエッフェル塔のシルエットが見える。凱旋門にはライトアップの照明が入った。思わず、おお、シャンゼリゼの歌が口をついて出る。それにしても疲れた。公衆トイレは危険といわれ、半日もガマンしている。レストランが何軒も並んでいる。まさにオアシスである。意を決してそのうちの一軒に入った。
 
 メニュー、というとテーブルクロスを掛けて、食事の支度をしてくれた。ところが渡された印刷物にはフランス語しか書かれていない。得意(?)の英語で話しかけてみたが若いウェイトレスにはまったく通じない。イングリッシュ、イングリッシュ!と叫ぶと、英語がわかるという30過ぎのおネエさんがやって来た。

 しかし、フランス訛りのイングリッシュと、単語を並べただけの和風英語ではまったく接点を見出すことができない。これだけ頑張って、やっと通じたのはミートという単語だけである。あとはまかせるというゼスチャーで彼女を帰し、家内には肉料理が来ると思うよ、と頭を掻いた。
 
 出された大きな皿には、小型ステーキ、手作りのソーセージ、ペラペラのベーコン、スペアリブのかけらなど各種ミートが並べられ、それを大量のフライドポテトがガードしていた。なんだかデパートの試食品を盛り合わせたような、そんな雰囲気である。美味かったのか、まずかったのか、シャンゼリゼで食事をしたという事実に大いに満足して、チップを多めに置いてくることにした。  

 「明日は美術館めぐりと洒落こもうよ」「ディナーはエスカルゴのフルコースがいいわ」滞在ホテルに向かう帰りの地下鉄で、そんな会話に花が咲いた。
(2004年3月7日)