[エッセイ 53](既発表 2年前の作品)


 きのう昼過ぎ、30歳台半ばの娘から電話があった。いま成田におり、これから、小学校2年生になる長女と2人で北京に観光旅行に行くということであった。
 
 初めて聞く話で多少びっくりしたが、なんとも気楽に海外に行けるようになったものである。それにしても、事前に何の話もない。留守をどうするかの相談もなかった。親と娘の関係も淡白になったものである。
 
 6年半前、私たちも北京にいた。滞在2日目の夕方、北京一の繁華街といわれる王府井(ワンフーチン)に出てみた。第一印象は、仙台の一番町を田舎風にした感じであった。店の構え、街路の整備状況、通行人、どれをとっても20年前に住んでいたころの仙台のほうがずっと都会であった。
 
 3軒目に入った洋品店で、家内は壁際に飾ってあったブラウスが気に入った。値段も安い。ふと左側を見ると、マネキンにグリーンのニットスーツが着せてあった。ベストもついた3点セットであるが値段は信じられないほど安かった。なんのためらいもなくそれらブラウスとスーツを買った。店を出ようとしたところで、「そうだ、あのブラウスを娘にも買ってやろう」ということになった。

 ブラウスは壁一面に飾ってあったので、派手な柄が集められているあたりでどれが似合うかとあれこれ相談していた。そこへ店員がやって来て、あなたのですかと家内を指差した。「いや、娘に」といったが通じない。

 そこで、かねて用意のメモを取り出し「娘」と書いてみせた。店員はけげんな顔をする。「ム・ス・メ」といいつつ今度は30歳と書いた。店員はさらにおかしな顔をし、寄ってきた他の店員たちも首をかしげる

 その時、集まっていた群衆の中から、英語は話せるかと声をかけてきた婦人がいた。少しならと前置きして「For my daughter」と答えた。「It means mum」と婦人。「エー!」。なんと、「娘」とは、お母さんという意味であった。次の瞬間、店は爆笑の渦にまきこまれた。
 
 中国では、良い女とは子供を立派に育てた慈悲深い母親のことを意味する。日本では、良い女とはその母から生まれたおもに若い女のことをいう。日本に帰って調べてみたら、このような例は、走(あるくこと)、手紙(シート状のトイレットペーパーのこと)、汽車(自動車のこと)など結構な数にのぼった。
 
 ロシア文字はギリシャ文字がもとになっているそうだが、NやRが逆を向いていたり、発音がまったく別だったりという例がたくさんある。これらは、研究のために派遣された留学生の記憶違いによるものが多いという。娘や走の例も、ロシアと同じような間違いが発端になっているのではないだろうか。
 
 昨日北京に向けて旅立った娘が、例のブラウスを着ていってくれたかどうかまだ確認はできていない。
(2004年3月27日)