沖縄

[エッセイ 11] (既発表 3年前の作品)
沖縄

 先週3日間、夫婦で沖縄観光に出かけた。今回はいわゆるパック旅行を利用したが、この種の商品としてはかなりグレードの高いものであった。とくにホテルは、立地とその星の数において大いに満足のいくものであった。

 旅は、前半は晴れて暖かかったが、後半は雨のち曇りでおまけに底冷えがした。訪問先は、首里城琉球村と呼ばれるテーマパークとそこでの民俗芸能、美しい浜辺の恩名村と景勝の万座毛、ジンベエザメが売り物の美ら海水族館、南部の戦跡に位置する平和祈念公園ひめゆりの塔など大変盛りだくさんであった。

 私たちは、沖縄の美しい自然と変転の歴史、そして厳しい現実に直接対面することができた。一方、多彩な民俗芸能に感動し、あの「おばあ」の人情にもチョッピリ触れることができた。

 沖縄には独特の文化と特有の言語がある。沖縄の音楽は、そのメロディーと音階に大きな特徴があり、さんしんなど特有の楽器とともに日本人の心を強く揺さぶるエネルギーを内蔵している。沖縄出身のミュージシャンがいろいろな場で活躍しているのも十分頷ける。
 
 ところで、沖縄には悲しい歴史があった。この地方は、450年間琉球という独立した平和な王国であった。琉球は海洋国家であったため、中国、朝鮮、日本、さらには南方の国々との交易で栄えることができた。しかし、一方で中国と日本から圧力を受け、常に独立を脅かされていた。
 
 実際に、17世紀初頭からは薩摩の実効支配を受け、王朝は名ばかりの存在となっていた。1879年、明治政府のいわゆる琉球処分によって、王制は廃止され日本の一つの県として沖縄県と呼ばれるようになった。

 沖縄は、第2次世界大戦において唯一地上戦の行われたところである。全国から動員された兵士や非戦闘員、そして多くの地元の人たちが戦争に巻き込まれて悲惨な最期を遂げた。私たちは、南部の激戦地のあとに作られた平和祈念公園で、そしてひめゆりの塔の前で、当時の惨状に想いをはせあらためて胸を熱くした。犠牲者の冥福を祈り永遠の平和を誓ったのは当然の成行きである。

 沖縄は、戦後永い間アメリカに占領され、いまに一つの州になるのではないかという噂まであった。その影はいまも重く尾を引き、ほとんど前進していない。1972年、沖縄は日本に返還され、表向き市民は平和と繁栄を享受している。

 沖縄には、毎年遠く海のかなたから神が渡来し、豊穣や幸福をもたらすという「ニライカナイ」の伝説がある。ニライカナイとは、そうした神がやってくる海のかなたの理想郷を意味する。沖縄自身がニライカナイとなって、平和と繁栄を築き、独自の文化を護り育くんでいくことを期待したい。
(2003年3月6日)