閏(うるう)

[風を感じ、ときを想う日記](1240)2/29

閏(うるう)

 

 今日2月29日は4年に一度しかない珍しい日である。普段、閏年や閏月といった言葉はよく耳にするので、この日のことは「閏日」というのかと思ったが手元の辞書にはそれは出てこない。もちろん「閏」という字は存在し、“平年より暦日が多いこと”と説明されている。ちなみに、ネットには出てくるので、“全くない”と閏日の存在そのものを否定することはできないようだ。

 

 現在、広く使われている太陽暦の閏の扱いについては、4年前にエッセイ542で取り上げているのでひとまず置いておくとして、ここでは陰暦での扱いについて触れてみたい。手元の辞書には、それについて次のように説明されている。

 

 「大陰暦では、平年を360日と定めて、これを12カ月に分けたが、太陽の運行と小差があって端数が出るために、その端数を積んで1カ月になったのを1年に加えて、1年13カ月とした。たいてい、5年に2度の閏ができ、19年つまり閏を7つ重ねていくと余分が全くないのでこれを一章と名づける」。時代小説を読んでいると、○○年○月閏の月等といった表現が出てきたりする。「エッ、結局いまでいう何月ごろ?」と、大いに戸惑ってしまう。

 

 いまの太陽暦の時代に生まれてよかった!とつくづく思うが、「あれ?今日は3月1日ではなかったの?」といったとんちんかんな会話や多少の戸惑いは残る。それでも、頭の老化防止には、これくらいの気遣いはしかたないだろう。

 

(ご参考)[エッセイ 542]

閏年

 

 今年は、閏年であるとともに十二支が先頭に戻って新たなサイクルに入った年でもある。もちろん、待ちにまった東京オリンピックの開催されるオリンピックイヤーでもある。閏年、十二支、そしてオリンピック、この三者が2020年という切りのいい年に出会うことになにか因縁めいたものさえ感じさせられる。

 

 1年が365日であることはみなよく知っている。ところが、実際の1年の長さは365.2422日で、少しずつずれが出ている。そのずれの調整方法がきちんと決められたのは、つい数百年前のことである。ローマ教皇グレゴリウス13世が、当代を代表する学者を集めて研究委員会を設け、1582年にグレゴリオ暦として制定した。以降、通称西暦として各国で採用されるようになった。

 

 その暦では、余分な0.2422日の端数調整に、400年に97回の閏年を設けて対応することにしている。閏年の割り当て方には3つの原則がある。

原則―1、西暦年が4で割リ切れる年は(原則として)閏年

原則―2、但し、西暦年が100で割り切れる年は(原則として)平年。

原則―3、但し、西暦年が400で割り切れる年は必ず閏年

 

 この原則でいくと、西暦1900年=平年、2000年=閏年、2100年=閏年、2200年=平年ということになる。実は、この調整措置をとってもなお、3320年当り1日の誤差が出る。その誤差の影響は微小と考えられるので、対応策は後世に委ねることにしたようだ。但し、ギリシャ正教会の修正ユリウス暦では、上記原則―3をさらに修正することでほぼ決着がついているという。

 

 十二支が閏年に当たるのは、子年、辰年そして申年の3つに限られる。ただし、そのサイクルのスタートが常に閏年から始まるといっても、両者の関係は単なる偶然でしかない。十二支が12年サイクルであり、4年に一度という閏年のサイクルの倍数にあたるためというだけのことである。

 

 オリンピックイヤーと閏年につてもその一致は単なる偶然でしかない。第1回のオリンピックギリシャ大会が1896年に開催され、その年がたまたま閏年だったことから、以降どちらも4年サイクルで併走しているだけのことである。それでも、「閏年にはオリンピック、オリンピックの年は閏年」というのは判りやすく覚えやすくていい。

 

 それにしても、偶然の一致とは面白い。今年のような2020年という切りのいい年に三者がぶつかるというのはめったにあることではない。まして、それが東京オリンピックの年とはおめでたいかぎりである。次にこのような現象が現われるのは2080年、あと60年も待たなければならない。そのときも、東京でまた、3三度目のオリンピックをやってもらうことにしたらどうだろう。

                               (2020年1月5日)