サツキの剪定

[風を感じ、ときを想う日記](1191)6/6

サツキの剪定

 

 この春以来忙しい日々が続いた。ここ3~4年間お休みしていたものが、まとまって再来してきたということだろう。ある意味、コロナ騒動の揺り戻しといっていい。急に行事が増えてきたというのに、怠惰にすっかり慣らされた頭と体は、新しいペースについて行けなくなっているようだ。

 

 今朝も、食事をとりながら庭を眺めていたら、サツキの枝が伸びていることに気がついた。花は先月には終わり、今度は自分の番だといわんばかりに枝を伸ばしはじめている。この木は、美しい樹形を維持するためはもとより、新しい花芽の準備のためにも、花が終わればすぐ剪定してやるのが望ましいそうだ。

 

 いままで、同じ木々を40年以上も管理してきた経験からも、花が終わったらすぐ剪定してやるのがいいようだ。なんせこの木は、人間の望む形に切られる運命にあるようだ。たいていは、生け垣として並べて植えられるか、アクセントとして寄せ植えされる。そしてあとは、その場所の都合に合わせて成形される。

 

 たしかに、5月になってその形どおりにピンクの花が咲き揃うのは見事である。花が終わり、伸びようとする枝が剪定されると、切られた形のまま緑の葉っぱを繁らせるのもまた見事である。なんともわれわれに都合のいい木ではあるが、彼らはどう思っているのだろう。人間のお役に立てて本望と思ってくれているとすれば、それもまたやるせないことではある。