五月人形

[エッセイ 628]

五月人形

 

 先日、ある大型スーパーを覗いてみたら、子供用品売り場の一角にたくさんの兜が陳列されていた。そういえば、白旗神社にはたくさんの鯉のぼりが上げられており、その雄姿に感動したばかりだった。五月晴れの青空とともに、子供たちがいっそう元気に飛び回る季節がやってきた。

 

 想えば、子供のころ、その季節になると段飾りの前でジッと見入っていた記憶がある。一代下ってこちらが父親になってからは、長男のために兜を飾ってやった覚えもある。しかし、以来何十年も経って、郷里の実家に保管してあったそれらは、家屋の解体とともに処分の対象となってしまった。一方、長男の兜は、押し入れにしまい込まれたまま、もう何十年も虫干しさえされていない。

 

 その5月5日は、端午の節句とよばれ、男の子の立派な成長を願う節目として祝賀行事が行われている。しかし、この「端午」とは、5月の最初の午(うま)の日のことをいう。その意味からは、5月の1日から12日まであっていいはずだが、5月5日に限定されたのは午の音が五に通じているためらしい。そのことと、もともと5という陽数が二つ重なるめでたい日であったためのようだ。

 

 この日は菖蒲の節句といわれているが、ショウブは尚武に通じることから武者人形がマスコットとして珍重されるようになった。もちろん、菖蒲の葉っぱが武士の刀に見えなくもないということもその理由の一つだったかもしれない。折から、この節句が盛んになったのは鎌倉時代だったため、当然のごとく鎌倉武士がその中心に置かれることになった。

 

 この日は、旧暦では梅雨直前に当たる。そのため、武家では武具に風を通し虫干しの手入れをしたそうだ。それら鎧兜は、武具ではあるが敵を直接殺傷するためのものではなく、大別すれば防具にあたる。みなが鎧兜を飾るのは、大切な我が子を災難から守ってくれる防具と考えていたようだ。菖蒲の節句のお菓子は柏餅だが、この食べ物は野戦時における武士の携帯食だったという。

 

 折から、NHK大河ドラマは源平の合戦が佳境に入ろうとしている。鎧兜に美しく着飾った武将たちが大勢登場する。きらびやかとはいえ、また防具とはいえ、鎧兜は所詮戦の道具である。闘いがなければ無用の長物である。いま、東ヨーロッパから伝わってくるニュースに、防空壕という単語が頻繁に登場する。私たちには死語のはずだが、彼の地では欠かせない設備になっているようだ。

 

 五月人形も、鎧兜はこの際止めにして、平和なものだけに絞ってみたらどうだろう。熊に乗った金太郎やホームランを打ったオータニサンの人形などいくらでも思いつくはずだ。しかも、きらびやかな鎧兜に比べ、父兄の購入予算は格安で済む。業者の減収分など、防衛費の使い残しでまかなえるかもしれない。

                       (2022年5月3日 藤原吉弘)