歌は世につれ、世は歌につれ

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f:id:yf-fujiwara:20220104104448j:plain[エッセイ 619]

歌は世につれ、世は歌につれ

 

 大晦日の前日、歌番組の集大成を楽しむつもりで、TBSの「レコード大賞」を見ることにした。ところが、番組になじめないまま、途中でチャンネルを切り替えてしまった。いつの間にか、異次元の世界に迷い込んでしまったような違和感さえ覚えてのことだった。代って大晦日の日、テレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」で、演歌のかずかずを楽しんだ。こちらは、違和感などなかったが、反対に出演歌手のデビュー当時の歌が多く、逆に前世に引き戻された感じさえした。

 

 この日は、午後7時になったところでニュースを見るため一旦NHKに切り替えた。画面は、ニュースが終わるとそのまま「紅白」に変わった。知っている曲もあったが、新しい歌が多く、演出もコロナ前に比べ大きく変っていた。紅白のイメージは吹き飛び、若者向け歌番組へと大きく舵を切ったようにみえた。多少嫌気も差して、途中でビデオに切り替え、風呂に入って寝てしまった。

 

 そして元旦の夕べ、第2チャンネルで「ニューイヤーコンサート」を見ることにした。クラシックではあるがワルツやマーチなど比較的ポピュラーなものが中心で、昔からの馴染みもあってゆっくりと安心して楽しむことができた。

 

 それにしても、年末年始の音楽番組も、ずいぶんと変化したものだ。時代の変化を反映してのことだろうが、ここ2年間はそれにコロナ禍という異種の特別要因も掛け合わされてのことであろう。そうした歌の変化を、「紅白」の分析を通して検証してみることにした。

 

 今年の紅白の出演者は、松田聖子さんが事情により辞退したこともあって、女性21名(組)、男性22名(組)、それに特別出演の6名(組)を加えて49名(組)となっていた。この49名(組)のうち、個人は27名、グループは22組だった。個人中心だった昔と比べ、団体の出演者が激増したため、費用はもとより楽屋の準備など大わらわではなかったろうか。

 

 興味を引いたのは、参加者の名前もそうだった。日本語表記が31名(組)で、うち姓と名がきちんと表示されている人は21名、その他、純烈のような名前がついているのが10名(組)だった。あとの18名(組)はローマ字で表記されていた。名前ついでに、あれだけこの世界を席巻したAKB、NMB、SKE―48が消えて、桜坂、日向坂、乃木坂―46が登場してきたことだ。ローマ字―48対坂道―46は、3対0で後から現われたグループの圧勝に終わったようだ。

 

 歌の中身もすっかり変った。リズム中心のサウンド、早口の歌詞、それも横文字混じりで意味は不明。中高年に響く演歌はたったの8曲、準演歌を加えても49曲中16曲にすぎなかった。コロナでカラオケから遠ざかった2年の間に、歌の世界は劇的に変わったようだ。歌は世につれ世は歌につれ、なのだろうか。

                          (2022年1月4日 藤原吉弘)