年の瀬

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f:id:yf-fujiwara:20211229161157j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1084)12/29

年の瀬

 

 神社の参道は、新年の初詣客を迎えるために、ちり一つ見あたらないほどきれいに掃き清められていた。昨日の真冬の空は、そんな形容が当てはまるような透き通った青空だった。お陰で、夕暮れとともに気温はどんどん下がり、夜明けには長く伸びた霜柱が朝日に輝いていた。

 

 昨日は、御用納めの日だった。テレビまでがそれにならって、番組が一つ終わる度に「来春1月4日にまたお会いしましょう」などとやっていた。わが家でも、年内にやるべきことはあらかた済ませた。大掃除はもちろん、年内に買いそろえておかなければならない買い物まで、すべて昨日のうちに済ませておいた。

 

 今日は、グラウンド・ゴルフの打ち納めに出かけた。いつものグランドは、土がむき出しになっている部分に長い霜柱が立っていた。手袋をしていても指先が冷たく痛ささえ感じられた。やがて、日が高く昇り、気温も上がって気持ちも緩んできたが、同時に霜も解けて地面はぐちゃぐちゃにぬかるんできた。

 

 あとは、大晦日の年越しの大祓を残すのみとなった。としこしのおおはらえとは、今年前半の夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)と対になって、今年後半の穢れを洗い清める神事である。別に神事にこだわることはないが、半年に一度くらい自身のことをゆっくりと振り返ってみるのも悪くないのではなかろうか。

 

 明けて寅年が、コロナなどない、輝かしい一年になりますように。

 

注)赤ん坊の像の写真は、近所の修道院の門前に飾れたキリスト生誕時のシーン。