芒種

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[エッセイ 594]

芒種

 

 新聞の折り込み広告を見て、市西部のニュータウンにあるスーパーマーケットへと向かった。途中、引地川を渡るが、その周辺は低湿地帯のためいまも水田が残っている。ちょうど田植えが終わったばかりで、水面には青空が映り、平素よりいっそう広々とした景観をつくりだしている。

 

 その畦道の一角に、赤い帽子をかぶった幼稚園児たち20人ばかりが集まっていた。どうやら、農家の人から説明を聞いているようだ。そうか、こうして稲作のことを実地に学び、ご飯のありがたさを身近かに理解してもらおうというわけか。大変ほほえましく、頼もしい光景に見えた。

 

 そういえば、子供の頃、麦や稲の耕作はごく身近なものだった。黄金色に実った大麦を、一株ずつ鎌で刈り取っていく。数日にわたる収穫作業が一段落したところで、親戚のおじさんに刈り取り後の畝をすき返してもらう。さらにそこに水を引き込んで田植えの準備をする。黒毛和牛が一年で一番活躍するとき、もちろん農家の人々にとってもネコの手も借りたい忙しい時期だった。

 

 例年、6月5日または6日とそれ以降の半月間を二十四節気では「芒種(ぼうしゅ)」と呼ぶ。かつては、梅雨入り前に大麦や小麦の刈り取りを終え、雨期に入ると同時に田植えに取りかかったものだ。いまでは多少早まってはいるが、もともとこの前後が、穀物との関係のもっとも深い時期にあたる。

 

 あの麦の穂の、先端から無数に突き出したトゲのような毛にはずいぶん悩まされた。ちょっと触っただけでちくちくし、また痒かった。畝に植わっているときも、刈り取るときも、天日に干すときも、もちろん脱穀するときも必ず嫌な目に遭った。あの、麦や稲の穂の先端から突き出た毛のことを、正式には「芒(のぎ)」といい、それにちなんでこの時節のことを芒種と呼んできた。

 

 稲は減ったとはいえいまも日本人の主食であり、これからも変わることはないだろう。片や小麦も、米に取って代わろうとする勢いはあるが、限界は見えつつある。そして大麦は、日本の食卓からすっかり姿を消してしまった。スーパーの片隅に、1~2キロ入りの押し麦の入ったプラ袋がおかれてはいるが、なんとも肩身が狭そうで、手に取る人の姿など見かけたことはない。

 

 二十四節気の名称は、立夏小暑といったその時期をすぐイメージさせるような言葉が使われている。そんな中で、もっともわかりにくいのがこの芒種である。今でこそ製品化された白米や小麦粉、あるいは押し麦を手にするようになったが、かつてはたいていの人が「芒」に触れ、痛がゆい思いをしたはずである。

 

 この芒種入りを機会に、あの幼稚園児たちのように、もう一度米や麦の原点に思いをはせてみてはどうだろう。

                          (2021年6月8日 藤原吉弘)