大相撲と観客

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[風を感じ、ときを想う日記](1034)5/13

大相撲と観客

 

 昨日、水曜日の夕方5時前のことである。大相撲の中継を見ようとテレビをつけた。画面にはビデオが流れていた。おそらく先場所の取り組みだろうと思っていたが、画面は勝負が決まった後も館内の様子を映し続けていた。観客は入れていないはずなのに、不思議なことに客席にはたくさんの人が座っていた。

 

 台所に立つ家内にそのことを話すと、4日目からは観客を入れることになっているそうよ、という返事が返ってきた。そういえばそうだったような気もする。事実、画面では逸ノ城と阿武咲の取り組みが始まった。画面に映る客席からは、まばらな拍手が送られてくるだけで、かけ声は一切聞こえてこなかった。

 

 大相撲の初日の光景をテレビで見たときは、「なんだ、これは・・」とびっくりしたものだ。人影のまったく見えない客席を背にした土俵の、なんとも間の抜けた光景であることか。それでも、3日間でそれなりに慣れてきた。そして4日目、少しばかり賑やかになった土俵を見てほっとした気分になった。

 

 オリンピックでもこんな光景が展開されるのだろうか。蔓延の状況次第で、選手や観客への対応もくるくる変わることだって十分あり得る。競技の結果だけでなく、コロナ禍の状況をみんなで固唾をのんで見守ることになりそうだ。

 

 それにしても、神さまは、なんでこんな大きな試練を人類に課してくれたのだろう。それとも、自然とは、有史以来いつもこんな厳しいものなのだろうか。