デジタルなコロナウイルスとの戦い方

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[エッセイ 577]

デジタルなコロナウイルスとの戦い方

 

 第一波が襲ってきたとき、これは大変だといってみんなで力を合わせ必死に食い止めた。みんなの努力は功を奏し、大波は見事に押さえ込まれた。「これでもう安心」とみんなで胸をなで下ろし、互いの無事を喜び合った。しかし、その対策は完全ではなかった。誰もが、小さな残り火がくすぶっていることに気がつかなかった。気がついた人もいたが、それを軽く見過ごしていた。

 

 ある日、その残り火が近くにあった紙くずに引火した。火はたちまち大きく燃え上がった。消し方が分かっていたはずだが、緩んだタガはなかなか元には戻らない。第一波の経験が活かされるはずだが、現実には緩みの方が大きく消火に必要以上に手間取ってしまった。結局、第二波は第一波より大きな犠牲を払うことになり、第三波は手のつけられないほどの大波に成長させてしまった。

 

 「火のないところに煙は立たぬ」とはよくいったものだ。火の気が少しでもあり、その周りに燃えやすいものがあったら必ず燃え上がる。しかし、いくら火の気があっても、近くに燃えるものがなければ、やがてその火は消えてなくなる。火の燃え移る範囲には限界があり、風でもない限り遠くまで飛んでいってなにかに燃え移るようなことはない。

 

 このように考えてみると、コロナウイルスはデジタル気質であり、人間はアナログ的性格の持ち主であることがよくわかる。コロナウイルスは、手の届く範囲が決まっており、それより外側にあるものには決して感染しない。その反面、内側にあるものには容赦なく感染する。いわば、ソーシャルディスタンスと除菌対策の有無を境に、感染するかしないかがはっきりと分かれているのだ。

 

 これに対し、人間はかなりいい加減である。やることにむらがある。敵と対峙して完勝する場合もあれば、突然気が緩んでズルズルと敗戦に追い込まれることもある。やることに波があり隙がある。これでは、完勝を求められる勝負の世界ではほとんど通用しない。しかも、今回はコロナウイルスとの団体戦である。一人でも例外がいたら、そこがほころびとなって敗戦へと堕ちていく。

 

 ただ、デジタル気質のチームを相手にする場合、必要以上の作戦や技は意味がない。もしそんな余裕があれば、他の弱い部分に廻すべきだ。つまり、しゃにむに対策に突っ走るのではなく、余裕のある部門は休息なり気分転換なりを計るべきなのだ。人のいないところではマスクを外すなど、対策にメリハリをつけるべきである。これこそ、アナログ人間のもっとも得意とする技であるはずだ。

 

 デジタルウイルスの長所も短所も、そしてどうすれば勝てるかという試合の運び方まで、いままでの経験でよく分かっている。完全勝利を目指し、対策のメリハリとチームワークによって、今世紀最大の災厄を乗り切ろうではないか。

                     (2020年12月19日 藤原吉弘)

写真:赤が勝つ?白に負ける?