[風を感じ、ときを想う日記](961)4/27
見上げて楽しむ最後の花
このところ、連日のようにフジの花を楽しませてもらっている。もちろん、「三密」は避けなければならないので、人気の少ないところを選んでウォーキングがてら仰ぎ見る程度にしている。それでも、その美しさをほとんど独占できることから、満足度はいつもにもまして十分に得られている。
市西部の農家の庭先に備えられた有名な藤棚、引地川親水公園の三つも連なる大規模な藤棚、そして白旗神社の二色に色分けされた藤棚。それぞれ、開花状況に微妙なずれがあって興味はつきない。もちろん、ご近所の垣根越しにのぞく薄紫色の房の数々も、私たちの心を存分に癒やしてくれている。
ところで、コロナ勃発以来“クラスター”という言葉をよく耳にするようになったが、このフジの花もその一種であろう。辞書によると、clusterの訳の最初に出てくるのが「ブドウ、サクランボ、フジの花の房」とある。散り始めたフジの下にいれば、クラスターに巻き込まれたということになるかもしれない。
春の間、サクラのように見上げて楽しめる花は、おそらくフジで最後になるだう。これからしばらくは、見下ろすように眺める足もとの花が中心になるだろう。サツキ、バラ、シャクヤク、アヤメ、そしてユリ。膝を折って、花やチョウチョウを間近に観察するのも悪くはない。いずれ近いうちに、キョウチクトウやサルスベリたちが、また私たちを上に向かせてくれるはずである。