幕尻の優勝

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[エッセイ 544]
幕尻の優勝
 
 幕尻、徳勝龍の優勝は実にすがすがしいものだった。真正面からぶつかり合い、四つに組んでの正々堂々の勝負、まさに千秋楽に相応しい大相撲だった。そして、その勝ちっぷりもまた見事だった。貴景勝に勝ったとたん、涙があふれてきた。勝ち名乗りを受けているときも、引き上げるときも涙はとまらなかった。


 同じような体型の力士同士の対決だった。どちらが大関で、どちらが幕尻力士だか見分けがつかなかった。西十七枚目といえば、幕内の中でもまさに最下位である。それが、出場力士中の最高位力士と仕切っているとは思えない迫力に満ちたにらみ合いだった。大関のほうがより緊張しているようにさえ見えた。


 優勝杯を受けたあとのインタビューも実にさわやかだった。「自分なんかが優勝していいんでしょうか」から始まって、アナウンサーとの掛け合いも見事だった。「まだ、33歳と思って頑張る」もまたよかった。場所中に亡くなった大学時代の恩師への思い、両親への感謝の気持ち、実に謙虚で好感が持てた。


 今回の徳勝龍の優勝を、マスコミは異例づくしのこととして持ち上げている。しかし、ある意味、勝ち取るべくして自力で勝ち取った優勝だったのではなかろうか。14日目には、1敗で優勝争いを併走していた四枚目の正代を引きずりおろし、千秋楽ではいまをときめく最高位力士に攻めて勝ったのだ。


 幕内ともなれば、いずれの力士も実力は拮抗しているはずである。横綱大関でも、具合が悪くて休場となれば、出れば負けて当然と考えられるので黒星扱いとなる。幕内の番付は、過去の成績を反映したもので現在の実力のランクではない。それぞれの状態と、そのときの状況によって、勝敗は大きく左右される。


 運動競技の必須条件として、「心・技・体」の重要性がよくいわれる。これらの能力を最大限に発揮した力士が勝ちを得るはずだというのである。それを支えるのが自信であり、さらにその自信の裏付けとなるのが納得のいく稽古である。実は、勝負事には、自身の力に加えて「相性」と「時の運」という避けて通れない見えない力も結果を大きく左右する。


 こうした心・技・体はもちろん、相性も時の運も常に変動する。それぞれが最大値に近づいたとき最良の結果が得られる。しかし、これらの変動の波は同時に動くわけではなく、往々にして別々の動きをする。それらの波の山を揃えることができれば、結果は自ずから満足のいくものになるはずである。


 今回の徳勝龍の優勝も、そうしたピークの揃わり具合が他の力士に比べ飛び抜けてよかった結果だと考えてみたら納得がいくのではなかろうか。いままで、長く底辺で頑張ってきた人は、飛躍できたときは本物に脱皮できる可能性が高いといわれる。徳勝龍の、33歳からの活躍が楽しみである。
                      (2020年1月27日 藤原吉弘)