珈琲のかおり 二百十日

[エッセイ 527]

二百十日

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 今日9月1日は、雑節の一つ、「二百十日」にあたる。この前後は、台風襲来の確率が最も高い日として、注意を喚起するために定められたといわれている。最近では、関東大震災に由来する「防災の日」が大きく取り上げられているため、やや影がうすくなったように感じられる。しかし、台風も地震と同じくらい私たちに大きな災難をもたらすので決して油断してはなるまい。

 二百十日は、立春から数えて210日目のことである。この日は、10日後の「二百二十日」や、旧暦8月1日の別名「八朔」とともに、農家の三大厄日としてとくに警戒されてきた。二百十日は、例年9月1日または9月2日がそれにあたる。そして、今年の八朔は、新暦では8月30日だった。ちなみに、関東大震災のあった1923年は、翌日の9月2日が二百十日にあたっていた。

 この二百十日は、国暦の創始者である天文学者渋川春海が、1684年に編纂した貞享暦(じょうきょうれき)に取り入れたのが始まりといわれている。なんでも、伊勢の漁師たちが、長年の経験によって厄日としていたことを参考にしたそうだ。なお、二百十日新暦における前後のずれは1日程度だが、旧暦をもとにした八朔は、年によって大きくずれることがある。

 ところで、日本独自の暦、雑節は、その大部分は農作業の目安として定められたものである。二百十日の頃は、かつては稲の開花期に当たっていた。ちょうどこのころ、南の方から台風が次々とやってくる。せっかく丹精込めて育てた稲が、暴風に荒らされてしまったのではたまったものではない。稲作が主要産業だったかつての日本にとっては、まさに国民全体の死活問題であった。

 昔の人は、台風などの自然災害にまったく無力だったと思われる。今もそれほど進歩してはいないが、当時の人は、ただ神仏にお祈りするしかなかったはずだ。かくして、農作物を風害から守るため、神に祈りを捧げる風祭(かざまつり)が盛んに行われたのではなかろうか。今も、各地の神社に風鎮祭として残っている。なかでも、八尾に伝わる「おわら風の盆」はあまりにも有名である。

 その風の盆とは、荒れ狂う暴風を鎮め、五穀豊穣を祈るためのお祭りである。富山市八尾に、300年間も受け継がれてきた。越中おわら節に乗って、9月初頭の3日3晩を踊り明かす。胡弓と三味線で奏でられるその曲には、去りゆく夏を惜しむような哀調をおびたひびきがある。菅笠で顔を隠すように無言のまま踊り続けるその姿は優雅そのものである。(エッセイー256「風と酔芙蓉」参照)

 今年の八朔前後は、線状降水帯と呼ばれる怪獣が九州中心に大暴れし、目に余る大きな被害をもたらした。その一方、風の被害はあまり聞こえてこない。これから二百二十日にかけて、穏やかに過ぎ、五穀豊穣となることを期待したい。
                          (2019年9月1日 藤原吉弘)