サクラの雑種繚乱

[風を感じ、ときを想う日記](1247)4/2

サクラの雑種繚乱

 

 今年は、ソメイヨシノの開花がずいぶんと遅い。“名門の系統としてはまだその時期ではない”とモッタイをつけているのだろうか。あるいは、“あわてて出ていくと安っぽく見られる”などとみんなをじらしているのかもしれない。いずれにしても、近年の傾向としては異常といえるほどの遅さである。

 

 ソメイヨシノがそうだからといって、ほかの種類の開花も遅いかといえばそうでもない。ひとからげにヤマザクラと呼ばれている花は順調に開いている。いわば雑種繚乱である。モモなども季節の変化について行っているようだ。あの種類だけが、なにか特別な異変にでも見舞われているのかもしれない。

 

 晴天に恵まれた今日も、心身の健康維持にと散策に出かけた。いつもの公園まできてふと奥の方に目をやると、1本のサクラの木に白い花が枝いっぱいについていた。2本あるうちの片方だけで、もう1本はまだつぼみの状態である。いま花をつけているのは、どうみてもヤマザクラの雑種の方である。

 

 近隣を歩いているうちに次々とサクラの開花に出くわした。ただし、みなちょっとばかり控えめで、あれほどの艶やかさはない。それでも、桜であることに変わりはなく、春のウキウキ感を刺激させてくれるには十分な咲き具合である。

 

 お天気は、明日からしばらくは、好天はあまり期待できないという。せめてソメイヨシノの満開時期だけでも、なんとか晴天に恵まれるよう願ってやまない。

開花宣言

[エッセイ 680]

開花宣言

 

 気象庁は2日前の3月29日、東京でサクラが開花したと発表した。その宣言は、ほかの地域でも次々と出されている。わが家のあたりでは、早いものは3~4分咲きに達したものもあれば、まだまったくゼロに近い状態の木もある。まさに、場所によって、木によって、状況は大きく異なっている。気象庁が、「標準木」などという基準を設けているのも、そうした理由にほかならない。

 

 ところで、その開花宣言の基準だが、気象庁では「標準木で5~6輪以上開花」の状態になったら宣言を発するそうだ。その標準木は、全国に58本が定められている。そして満開の定義は、「標準木で80%以上のつぼみが開いた状態となった最初の日を満開日」というそうだそうだ。

 

 今年の開花は、平年より5日、昨年より15日遅いそうだ。海の向こうの、岩手県と同じくらい北にあるワシントンのポトマック河畔のサクラが、3月中旬には満開になったというのに・・である。一方、古い記憶をたどっていくと、かつては今年の状況が当たり前だった。4月7日あたりの入学式の記念写真は、たいてい満開のサクラの前で撮るというのが慣例だったはずだ。

 

 それにしても、なぜ日本人はここまでサクラの開花に関心を持つのだろう。なぜ気象庁がサクラにかぎって、わざわざ「開花日」や「満開日」などを発表するのだろう。いうまでもなく、日本全体が春を待ちわびているからに他ならない。サクラは日本のシンボルであり、春を象徴する花である。日本人にとって、春は年度の始まりであり、希望の象徴でもあるためだ。

 

 日本人に限らないことかもしれないが、人々は平素の行動に区切りを付けたいと考えているのではなかろうか。春は、それに最も適した季節の変わり目なのかもしれない。厳しい冬を全力で乗り切り、やっと迎えた温かく希望に満ちた春こそ、それに最も相応しいときだと思われているのではないだろうか。

 

 いまひとつ、人々は一年のうち、どこかで息抜きをしたいのではなかろうか。そのためのきっかけが欲しい、口実が欲しいと考えてもちっとも不思議ではない。その点、春は人々の心がもっとも浮き立つときであり、周囲の環境もそれに相応しいと考えられるのである。美しいサクラの下で、うきうき・ワクワクしたくなるのは、理にかなった人々の自然な行動ということができよう。

 

 春の「開花宣言」こそ、そうした行動に対する神さまからのお許しの宣下であり、もう少し前向きに捉えればその号砲であるということもできる。活動の区切り、それの山と谷、行動の強と弱、・・これらはすべからく次の発展、繁栄の礎となるものである。これからの社会の繁栄のために、私たち個々人の体と心の健康のためにも、サクラをしっかりと楽しもうではないか。

                      (2024年3月31日 藤原吉弘)

セリ

[風を感じ、ときを想う日記](1246)3/22

セリ

 

 知人の紹介で、今度はセリに出会うことができた。一ヵ月前のフキノトウ同様、春の新芽を楽しませてくれる植物である。あの強い香りを最大限に活かすには、なるべく手をかけない方がいいだろうと、調理方法は“おひたし”を選んだ。サッと茹でて絞り、カツオブシとめんつゆでいただくことにした。

 

 「うまい」と、思わず叫んでしまったほど美味だった。あの独特の香りと味を楽しむには、なるべく生に近い状態がいいだろうと考えたのだが、それが大正解だった。カツオブシも香りが強いので、両者がバッティングしてしまうかと心配したが、結果的にはお互いが長所を引き出しあった印象すらあった。さらには、塩味は醤油では味が濃すぎるだろうと、メンツユにしたのもよかった。脇役は、あくまでも控えめでなければならないようだ。

 

 セリ(芹)は日本が原産だそうだ。湿地でよく見かける植物である。その名のとおり、ほかの植物と競り合って成長していくことからそう名付けられたそうだ。きわめてバイタリティーに富んだ生きものであるといえよう。その勢いが、あの独特の香りと味を生み出しているといえよう。

 

 今日もスーパーに買い物に出かけた。今回は、野菜売り場は素通りし、魚売り場に直行した。新鮮なアジが入荷したと聞いたからだ。冷蔵庫の、葉っぱ付きの大根をいろいろ味わってみたかったからでもある。

春の彼岸のお墓参り

[風を感じ、ときを想う日記](1245)3/18

春の彼岸のお墓参り

 

 今日は、よく晴れてはいたが、強風が音をたてて吹き荒れていた。彼岸まであと2日、ぼつぼつ墓参りに行くタイミングだとは思っていたが、どうしても躊躇せざるを得なかった。それでも、天気は下り坂に向かう一方だという。墓園内の桜の様子も気になる。かくして、とにかく思い切って出かけることにした。

 

 墓園の中央部に臨時出店された3軒の花売りテントは、いずれも結構な賑わいを見せていた。わが家の区画のあたりでは、もう半分くらいのお墓に新しい花が供えられていた。われわれも墓碑の周りをきれいに清掃し、新しい花をお供えした。強風が気になったが、線香を供えご先祖様にあらためて挨拶をした。

 

 記憶が正しければ、この墓園の中央ゾーンあたりのサクラは、昨年は満開だったように思う。お参りを済ませると早速その辺りに足を向けてみた。しかし、どの木も、白い花が数輪見えるだけでまだ裸の状態に近かった。おかしいなあ、あの満開だった記憶は去年の彼岸の時だったはずなのに・・。

 

 自宅に帰って、昨年の投稿記事「お墓参りとサクラ見物」をめくってみた。あのときの4枚の桜の写真はいずれも満開だった。年によって、こんなにも違うのだろうか。確かに、昨年は3月20日に墓参していて、今年より2日ほど遅いことになる。それでも、今年は閏年なので、実質1日早いだけである。年によってこんなにもバラツキがあることを、あらためて思い知らされたしだいである。

ウグイスの初鳴き

[風を感じ、ときを想う日記](1244)3/17

ウグイスの初鳴き

 

 普段どおりの時間に目が覚め、そのままトイレへ行った。いつもなら、遊行寺の朝6時の鐘の音が伝わってくるのに、今朝は近くの雑木林の方角から、「ホー、ホケキョ」というウグイスの声が聞こえてきた。「いつもながら、ウグイスの声は透き通っていてきれいだなあ」と思った。

 

 「待てよ!いつもながらではなく、ずいぶん久し振りに聴いたような気がするぞ」。今朝の鳴き声は今年の初鳴きだったのかもしれない。普段はカラスがガアガアとうるさいのに、このときに限っては鐘の音のほかはなにも聞こえてこなかった。早起きの鳥たちも、ウグイスには一目置いているのだろう。

 

 朝食後、自身のブログからここ数年のウグイスの初鳴きの記録を追ってみた。‘22年:3月15日、‘21年:やはり3月15日、‘18年:3月7日、そして‘17年:3月25日などとなっていた。やはり、だいたい3月半ば頃から鳴き出すようだ。‘17年の記録には“例年3月17日ごろ”という注釈が付けられていた。今朝の鳴き声は結構上手に聞こえたが、やはり初鳴きだったようだ。

 

 一息入れて、今度は近所の公園へ月一回の掃除に出かけた。先月まであれだけたくさんあった落ち葉もすっかり少なくなり、作業は簡単に終えることができた。もう少し経つと、今度は常緑樹の落葉が始まる。ウグイスの初鳴きといい、常緑樹の新芽の準備具合といい、季節は確実に進んでいるようだ。

名前もわからないサクラの開花


[エッセイ 679]

名前もわからないサクラの開花

 

 あと5日もすれば彼岸の中日を迎える。春らしい穏やかな日射しに誘われて近所を散策していると、サクラと思しき白い花が目についた。雑木の生い茂る急な傾斜地の裾野にあたる所である。その先は平坦な住宅地へと続いている。桜の咲いている草むらに足を踏み入れると、ややぬかるんだ感じがする。傾斜地からにじみ出た水が、排水しきれない状態になっているのかもしれない。

 

 その桜の木には根元から切られた跡があり、いまある幹はその切り株の脇から伸びたものだった。接ぎ木といってもおかしくない格好である。湿地のためか、細く痩せていて、枝やその先についた花の数もまたまばらである。花の色は白で小さくはないが、地味でなんとなく精彩を欠いている。あのピンクのカワヅザクラに馴染んだ後だけに、なにか拍子抜けした気持ちにさえなってしまう。

 

 何という種類なのだろ?名前だけでも知りたいなあ。そう思って、帰宅後にインターネットを開いてみた。日本花の会の「桜図鑑」というページが目にとまった。たくさんの種類の桜が写真付きで掲載されていた。いま撮ってきた写真と見比べながら検索してみたが、“これだ!”というものは探り当てることができなかった。なんせ、401種類もの写真が掲載されているのだから・・。

 

 さいわい、名前を特定するための必要事項を入力すると、それを検索できる仕組みになっていた。さっそく6つの項目について求められた事項を入力してみた。開花時期は3月上旬又は中旬、花の色は白、その形は一重、花の大きさは中輪、樹形は円柱形または箒状、そして樹高は2~3mと入力した。検索結果はいずれの場合も“該当する桜が見つかりませんでした”と出た。

 

 ちなみに、特定のための分類項目は次の通りだった。①開花期=3月上旬、3月中旬、3月下旬、4月上旬、それと秋の5通り、②花色=白、微淡紅、淡紅、紅、濃紅、紫紅、黄緑、そして緑の8色、③花形=一重、半八重、一重で半八重、八重、菊花、そして菊花で段咲、④花の大きさ=大輪、中輪、そして小輪、⑤樹形=円柱形、箒状、盃状、広卵状、傘状、そして枝垂状、⑥樹高=2~3m、3~8m、そして8m以上だった。今後、桜を研究しようというときに役立ちそうだ。

 

 特定するにあたっての、基本となる品種も掲載されていた。エドヒガン、ヤマザクラ、オオヤマザクラ、カスミザクラ、オオシマザクラ、マメザクラ、タカネザクラ、チョウジザクラ、ミヤマザクラ、カンザクラ、そしてシナミザクラといったところである。現世のサクラは、これらから枝分かれしてきたようだ。

 

 それにしても、今日見物してきたサクラは少々地味すぎる。もう少し艶やかな色合いも欲しいと考え、帰り道にシバザクラ(芝桜)の写真もたくさん撮ってきた。春は逆に、そんな贅沢のいえる花に満ちたシーズンであるともいえよう。

                      (2024年3月15日 藤原吉弘)

衣類乾燥機の買い換え

[エッセイ 678]

衣類乾燥機の買い換え

 

 春の気配が漂い始めると、晴れと雨が交互にやってきて、おまけに不順な天候が続くことも多くなる。そんな雨続きの日には、どうしても衣類乾燥機のお世話にならざるをえない。その、平素から頼りにしているわが家の乾燥機が、このところ体調不良を訴えるようになってきた。人間なら後期高齢者と呼ばれてもおかしくないベテランなので、当然引退も考えてやらなければならない。

 

 そんな思いを胸に、先日電気器具点を訪ねてみた。1軒目、なんと衣類乾燥機は置いていなかった。仕方なく別の店に廻った。2軒目では、あるにはあったが展示品は2台が並べられているだけだった。今までわが家で使っていたものと同じタイプのP社製品が台の上に、そしてあと1台はブランド名も定かでない小型のものが床に無造作に置かれていた。

 

 どうやら、時の流れは洗濯機と衣類乾燥機が一体となったものが主流となっているようだ。しかし、洗濯機は買い換えたばかりで、当面新しいものは必要としない。さらには、婦人物は乾燥機に不向きなものも多い。家族構成が縮小してしまった現状では、乾燥機は洗濯機とは別々に使える小型のものが使い勝手にも優れているといえよう。よし、この小型の機種に決めよう!

 

 新規購入した小型乾燥機は配送扱いとし、今までのものとは自宅で交換することにした。古い乾燥機の処分は、専門業者に任せなければならないためだ。来訪した担当者は、古い方を台から取り外す一方、持ってきた新しい製品は床に置いたままにした。“危ないので、台には乗せず、この状態で使ってください。また、今までの台はそちらで処分してください”といって帰っていった。

 

 購入した店の係員からは、こうした説明はなにひとつ聞かされていなかった。当方は、乾燥機はすべて洗濯機の上を跨ぐ台に乗せて使うものだと思い込んでいた。これでは、元々狭かったスペースがますます窮屈になり、おまけに、乾燥機から出る湯気は狭い部屋に充満することになる。使い勝手は最悪の状況が予想された。ここまできた以上、交換や返品は難しそうだ。どうしよう!

 

 出した結論は、新規購入した乾燥機を今まで同様台の上に固定し、これまでと同じような使い方をするということだった。台の転倒防止と振動抑制、乾燥機の台への固定、こうした課題は長年積み重ねてきた経験と技術を駆使して完璧に仕上げた(つもりである)。見た目にも十分に耐えられるよう最大限の気配りもした。もちろん、これらすべて当方の責任においてである。

 

 雨の日、早速試してみた。低目の温度で稼働させると、所要時間は今までより多少長くなるようだ。しかし、時間より、衣類の品質保持と安全運転こそ優先すべき事柄である。これをモットーに、これから長くお付き合いしていきたい。

                         (2024年3月10日 藤原吉弘)