十月の風

[風を感じ、ときを想う日記](1143)10/6

十月の風

 

 今月の「ゆうゆう通信」には、巻頭の挨拶として次のような小文を載せた。

 

 ・・・このところ、いろいろなところでカボチャの飾りが見られるようになってきました。

 

 あのハロウィンは、古代ケルト人の大晦日が起源になっているそうです。ケルト暦では、10月31日が大晦日に当たり、この年の最後の日に死者の霊が家族のもとに帰ってくると信じられています。ところが、そのとき有害な霊も一緒に降りてくるので、その悪霊を追い払うために、それらが怖がりそうな格好をして身を守るのだそうです。

 

 この行事は、アイルランドあたりのケルト人の国からイギリスへと伝わり、やがてアメリカにも広く伝わっていったそうです。日本にも、お盆や節分などに似たようなところがあります。渋谷の大騒ぎは別として、できるだけ温かく見守ってあげたいですね。・・・

 

 そのケルト人とは?一説によると、・・ケルト人は、前6世紀から前1世紀ごろまでは地中海沿岸を除くヨーロッパの大半に広がっていた。しかし、ローマやゲルマンの進出に圧迫され、しだいに民族的特性を弱め、今日ではヨーロッパの北西の隅にわずかに存続するだけになっている。・・・

 

 これも、説があるという程度で、実際にはそれさえよく分かっていないようだ。

神無月

[エッセイ 641]

神無月

 

 今日、10月2日には、町内の神社で祭礼が行われていた。買い物で、偶然その前を通りかかったので、そのまま立ち寄ってお参りしてきた。それで思い出したが、ふるさとの各部落にお祀りされている神社のお祭りも、たいていこの時期に行われている。「秋祭り」という言葉があるくらいだから、神社のお祭りといえば米の収穫が終わるこのころに集中しているのではなかろうか。

 

 それにしても不思議な話ではある。10月といえばその異名は神無月、神さまのいない月ということである。なんでも、全国の神さまたちが、会議のために出雲大社に集まるのだそうだ。そんな神さまのご不在のときにお祭りをするとは、まったく納得のいかない話である。そのときに繰り出すお神輿は、神さまに乗っていただき庶民の暮らしぶりを見ていただくためのものだが、無神のお神輿などただの飾り物でしかないことになる。

 

 そこで、神無月についてもう少し掘り下げて調べてみることにした。神無月(かんなづき、かみなづき)とは、“神の月”というのが本来の意味だそうだ。神無月の“無”は、“無し”ということではなく連体助詞の“の”というのが本来の意味だそうだ。6月の水無月が“水の月”、言い換えれば水の有る月という意味であるように、神無月も“神さまを祭る月”と解釈するのが妥当なようだ。

 

 それでは、前記の“神さまがいない月”という解釈はどこからきたのだろ。この説は平安時代になってからの後付けで、以下のような解説も見受けられる。出雲大社の神は大国主命で、彼には沢山の子供がいた。成長した子供たちは、全国の各神社を任されるようになった。大国主命は、地方の神社で神を努める子供たちを集めて、年一回の会議を開くようになった。やがて、伊勢神宮天照大神のほかは、ほとんどの神々がその会議に参加するようになった。

 

 ついでだから、10月を意味する英語のオクトーバー(October)とタコのことを指すオクトパス(Octopus)にまつわる疑問も解明してみることにした。Octoとは“8”という意味であることから、オクトーバーは“8番目の月”、オクトパスは“8本の足”という意味になる。8本の足はすぐにピンとくるが、8番目の月は理解に苦しむ。実は、元になっている暦は古代ローマのもので、3月がスタートになることから10月は8番目の月となるのだそうだ。

 

 かくして、ここでは神さまのことについて考えてきたが、多神教の日本にはどのような神さまがどれだけおられるのだろう。あまりにも多いので人気ベスト10を上位からあげてみた。天照大神日本武尊、伊邪那伎、伊邪那美須佐之男命、大国主命、天宇受売、木花咲耶姫瓊瓊杵尊そして猿田彦命である。日本におられるこれらの神々様には、これからもみんなの安寧をお祈りしたい。

                      (2022年10月2日 藤原吉弘)

キンモクセイ

[風を感じ、ときを想う日記](1142)9/29

キンモクセイ

 

 雨戸を開けているとき、金木犀が色づき始めているのに気がついた。昨日の朝のことである。ああ、もうそんな季節になったのだ。暑いあついといっていたのに、彼岸を過ぎてみると、秋の花もちゃんと出番をわきまえているようだ。

 

 こちらも、出番が来たとばかりに、この日3ヵ月ぶりにゴルフに出かけた。暑い夏を避けてのことである。現役のころは、酷暑のことなど考えもせず、チャンスさえあれば喜んで出かけていった。しかし、熱中症に苦しみ、倒れそうになったことも一度や二度ではなかった。平素、冷房の効いた屋内で過ごし、いきなり炎天下に飛びだすのだから、そうならない方が不思議なくらいである。

 

 それはともかく、この日プレー中にふとあの香りに気がついた。ティーグランド脇に並べて植えられた金色のキンモクセイが、ほぼ満開状態に達していたのだ。ここは海抜2~300メートルにあり、比較的温かいわが家のあたりより、季節の進み具合にもズレがあってもおかしくないはずなのに・・。

 

 キャディーにいわせると、例年平地より多少早いということだった。たいていの花は、わが家のあたりの方が早く咲くが、考えてみればそれは春のこと、秋はゴルフ場のあたりの方が早いのは当たり前のことかもしれない。

 

 今日、散歩がてらご近所のキンモクセイの様子も見てまわった。いずれもすでに満開状態にあった。同じ県内のこと、季節にそれほどのズレはないようだ。

小出川のヒガンバナ

[風を感じ、ときを想う日記](1141)9/23

小出川ヒガンバナ

 

 秋分の日から始まる三連休は、台風15号の影響もあって大きく崩れると予報されていた。当方も、そんな状況に鑑み、今日は家でゆっくりと過ごすつもりでいた。しかし、空に雲はかかっていても、すぐに降り出しそうにはない。それどころか、いまにもお日様が出てきそうな雰囲気にさえあった。“よし、この状況を信じて、小出川ヒガンバナを見に行こう”と急遽出かけることにした。

 

 空に雲がかかってはいるが、遠方には丹沢の山並みがのぞめる。雲は高く、稜線はくっきりと浮かびあがって見える。その裾野あたりには白い雲までたなびいている。小出川の水量はかなり多く、このところの降水量の多さを物語っているようだ。そして、その両岸は赤い花で覆いつくされていた。そんな素晴らしい風景なのに、見物の人影はまばらだった。お天気を心配してのことだろう。

 

 そのとき、目の前の土手にシラサギが降り立った。続いて、灰色の鳥も降りてきた。こちらはアオサギにちがいない。種類は違うが、二羽はデート中なのかもしれない。すぐそばの人間を警戒することもなくお互いを見つめ合っていた。

 

 ところで、例年ここでは「小出川彼岸花まつり」が開かれている。当方は、人出を避けて数日前に来ることにしておりまだ参加したことはないが、今年は明日土曜日に予定されているそうだ。お天気が心配だが、近づきつつある台風はどこかへ吹き飛び、来場者には心いくまで赤い花を楽しんでもらいたいものだ。

秋の彼岸のお墓参り

[風を感じ、ときを想う日記](1140)9/22

秋の彼岸のお墓参り

 

 暑いあついといっているうちに、いつの間にか秋の半ばまでやってきた。昨日の水曜日からは、諺どおり冷房のお世話にならなくて済むようになった。一方、ウイズコロナ政策もあって、年中行事はほぼ平年どおりに戻ってきた。そんなことから、ここ数年では珍しくもろもろの予定が立込んでいる。

 

 一方、お天気の方はこのところ優れない日が多かった。老人週間や敬老の日と重なる前回の3連休は、台風14号の影響をもろに受けて大きな混乱を来すことになった。やっと晴れ間が戻ってきたのもつかの間、明日からの次の3連休はまた新たな台風が吹き荒れることになるかもしれないという。

 

 そんな不順な天候と立込んできた行事の合間を縫って、やっと彼岸のお墓参りに行くことができた。その途中、また空模様が怪しくなってきたが、ご先祖さまにはなんとか挨拶を済ませることができた。しかし、まだひとつ大事なものが残っている。例年楽しみにしている小出川ヒガンバナ見物である。

 

 見逃すことだってあるかもしれない。そう思って、先日見てきたシロバナヒガンバナのあるところを再び訪ねてみた。しかし、その光景には大きなショックを受けた。いつもなら、赤い花が一面に咲いているはずが、シロバナに占領されたままになっていたのだ。やはり、ここでも変異株が暴れているのだろうか。

 

 そういえば、「鎌倉殿の13人」の源平の合戦でも白が勝利していたっケ。

シロバナヒガンバナ

[風を感じ、ときを想う日記](1139)9/17

シロバナヒガンバナ

 

 台風14号が日本本土を狙っている。この3連休は、どこへ行ってもその影響をもろに受けることになりそうだ。わが町内でも、明日の日曜日には3年ぶりのお祭りを予定している。その夜には花火大会もあるはずだ。そして、翌月曜日には、わがゆうゆうクラブの敬老会の会合も予定している。いずれも、台風のコースしだいでは大きな影響を受けることになりそうだ。

 

 そんな状況を見越して、買い物に行こうと車で出かけたところ、表通りは大変に混み合っていた。一つ裏を廻ろうと脇道に入ったら、白いヒガンバナがたくさん咲いていた。土手に植えられたカワヅザクラの足下である。春は、早春に濃いピンクの花を、そして秋になると赤いヒガンバナを楽しませてくれるところである。あの赤い花が白に変身したのだろうか。それにしても一週間早い。

 

 早速白いヒガンバナについて調べてみた。この花は、シロバナヒガンバナ、あるいはシロバナマンジュシャゲというそうだ。赤いヒガンバナショウキズイセン鍾馗水仙)と交配したものだという。遺伝子の白化現象で、繁殖力は弱いそうだ。赤い花よりかなり早く咲くといわれている。

 

 それにしても、昨年まであのカワズザクラの足下で赤く咲いていたものが突然変異したのだろうか。あるいは、両方が混在していて、後日赤い花も芽を出してくれるのだろうか。一週間後の彼岸のころが楽しみである。

長月

[エッセイ 640]

長月

 

 9月の暦をながめていたら、脇の方に「長月」と書かれていた。そういえば、3ヵ月前に、雨の多いこの6月をなんで「水無月」と呼ぶのだろうと、話題になったことを思い出した。9月の異名長月についても、その由来をいろいろ考えてはみたが、その根拠は「秋の夜長」くらいしか思い当たらなかった。

 

 そこで、いったいなにが「長い」という名前の由来になったのかを調べてみることにした。ここで注意しなければならないのは、この異名が旧暦を前提にしているということだ。ちなみに、今年の旧暦9月は、新暦の9月26日から10月24日まででかなり繰り上がっている。しかし、平年の旧暦9月はもっと遅く、新暦の10月上旬から11月上旬である。

 

 長いという呼称の根拠でもっともだと考えられるのは、この時期の秋の夜長と秋の長雨である。事実、「夜長月」または「長雨月」が縮まって長月になったという説がある。旧暦だと、9月は秋分の日以降にあたることから、昼間より夜の方が長くなるころである。また、台風シーズンは過ぎ去ったものの、秋雨前線が停滞して秋の青空が待ち遠しいという時節でもある。

 

 一方、秋ということから、稲にまつわる言葉が転じたものもある。その一つは、「稲熟月(いねあがりづき)」が元になって稲が長く成長する意味の「穂長月(ほながつき)」となり、それが簡略化されて「長月」となったという説である。そしていま一つは、「稲刈月(いねかりづき)」から「い」と「り」が省略されて「ねかづき」となり、それが転じて「ながつき」になったという説である。

 

 このように、9月は昼間が短くなっていくのとは逆に、夜は加速度的に長くなっていく。秋は、酷暑に耐え抜いてきた身体を、一旦立ち止まってしっかりといたわるときである。豊かに稔った穀類や甘く熟した果物、暑からず寒からずの快適な気候、それらを存分に享受できる季節なのだ。

 

 そして秋は、夏の浮き立った心を静めるときでもある。朝晩は急に冷え込むようになり、野山の木々は色づきが進む。澄み切った夜空には名月が浮かび、足下では虫の声がひびく。時を忘れて読書に耽るのもよし、夏の間忘れていた日本酒で月見酒としゃれ込むのもまたおつなものかもしれない。

 

 実は、9月の異名は長月だけはない。彩月(いろどりづき)、紅葉月、菊月、菊咲月、梢月、さらには寝覚月などさまざまである。かくして、あれこれ長々と考えてはみたが、いまひとつ説得力に欠けている。そこで、ここでは、長月は「長寿、長命の月」と解釈することにしてはどうだろう。9月15日から21日までの一週間は「老人週間」であり、9月19日は「敬老の日」となっている。この月は、国を挙げて長寿、長命をお祝いする時節なのだ。               

                                                                                (2022年9月14日 藤原吉弘)