板金が剥がれかけていますよ!

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f:id:yf-fujiwara:20210926150543j:plain[エッセイ 605]

板金が剥がれかけていますよ!

 

 台風の接近が心配されていたある日、門柱脇に付けられたインターフォンのボタンが押され、「板金が剥がれかけていますよ!」というダミ声が流れてきた。その声の背後では、トラックの音が大きく響いていた。あたかも、車で通りかかったら、わが家の屋根が剥がれかかっているのに気がついたといわんばかりの演出だった。とっさに、「放っておいてください!」と大声で返した。この類いの“ご注進”には、さんざん嫌な目に遭っているので瞬間的にそう返答した。

 

 なんと、そんな問答が2~3度繰り返された。すると、今度は敷地内に入ってきて、玄関のドアを手で激しく叩き、なにやら大声で叫びだした。ちょっぴり恐怖感を覚えたので、家中の鍵を閉めなおしダンマリを決め込んだ。さすがにそれ以上は攻めてはこず、いつの間にか静けさを取り戻していた。しばらくして玄関を開けてみると、門の扉は開け放されたままになっていた。

 

 そういえば、あの日の前日、ご近所のお宅のご主人が、見知らぬ若いお兄さんと天を仰ぐように自宅の周りを点検して廻っていた。ひょっとして、そのご主人は、あの“ご注進”の手口に乗せられてしまったのかもしれない。プライバシーが絡むことなのでめったなことはいえないが、ご主人はその数日前にもご自宅の屋根をしきりに眺めていたことがあった。

 

 ちょうど1年前、「工事の挨拶に来ました」と、不審な言動のお兄さんが訪ねてきた。そのお兄さんは、遠く離れた別の場所でも同じことをしていたので、見かねて直接注意したことがある(エッセー566・「工事の挨拶に来ました」参照)。このときは、町内会の防犯担当役員に連絡したので今回も同様のことを伝えた。ところが、駅前の交番に知らせたらどうでしょうというご意見が返ってきた。過去にそうしたら、パトロールを強化してくれたとも付け加えられた。

 

 別にそこまでの必要はないと思っていたが、その防犯担当役員の手前もあるので、今回は警察署に直接電話することにした。結果からいえば、犯罪が発生したわけではないので直接介入することはできないというご返事だった。もっともである。ただし、防犯の事例として十分参考にさせてもらう。また、防犯活動にはこれからも心して当たりたいということだった。

 

 まだこうした経験のなかったころ、うっかり屋根屋のいうことを信じて点検の話に乗せられそうになったことが過去に数度ある(エッセー529・「おせっかいな屋根屋」参照)。昨日は、覚えのない床下のシロアリ対策を、やらせてもらったことがあるという業者から電話があった。知らない人の話など、とても信じられたものではない。親切ごかしのご注進、あるいは引っかけの売り込み電話には、注意してしすぎることはないようだ。もちろん、オレオレ電話にも。

                         (2021年9月26日 藤原吉弘)

ゴルフの再開

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f:id:yf-fujiwara:20210923101438j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1064)9/23

ゴルフの再開

 

 熱中症を警戒して、夏の間はゴルフに手を出さないことにしている。今年も、6月13日を最後に、長い夏休みに入っていた。9月になって、5日と12日の2回ほどチャンスがあったが、いずれも不順な天気にたたられて見送ってしまった。そして昨日、やっと待望のチャンスが巡ってきた。

 

 私のホームコースでは、高齢者だけのコンペが年6回、年間行事として予定されている。毎奇数月の第4水曜日がその日に当たる。その予定日の4(し)と水(すい)から、“紫水会”と小洒落た名前が付けられている。昨日の天気予報では、一瞬躊躇しそうになる情報も含まれていたが、とにかく出かけることにした。

 

 最盛期には40名近い大コンペだったが、ご多分に漏れず縮小傾向には歯止めがかかっていない。それでも、現地に着いてみると、この日は17名のおじいさまたちが揃っていた。受付で、体温を測り、手指を消毒して、渡された組み合わせ表を見て驚いた。なんと、私が最高齢者となっていたのだ。

 

 午前中、霧雨がちらつくことはあったが、プレーにはまったく影響がなかった。逆に、影響があったのは体力の衰えと練習不足である。それでも、終日楽しくプレーできた。これで、スコアがよければ申し分ないところだが、そのスコアも参加者中最大の数だった。年齢に応じたハンデキャップも加味され、それなりに厚遇されているが、それでもとても間に合う数字ではなかった。

台風一過、彼岸花と中秋の名月

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f:id:yf-fujiwara:20210921154315j:plain[エッセイ 604]

台風一過、彼岸花中秋の名月

 

 台風の影響で、日曜日の昼過ぎまでずっと雨にたたられていた。その雨も上がり、曇天は抜けるような青空に変わった。しかし、間もなくすると深い闇へと変わっていった。ところが、東の空が急に明るさを帯び、やや細面の月がおもむろに顔を出してきた。もうすぐ中秋の名月となる十三夜の月である。しかし、2日後も必ず晴れるとは限らない。ためらうことなくカメラを持ちだしてきた。

 

 昨日の敬老の日は、まさに日本晴れとなった。なには差し置いても、彼岸花を見にいくべきだと考えた。しかし、小出川に着いて少々がっかりした。花は満開だが、その様子はすでに盛りを過ぎているようにしか見えなかった。花の先端部分が、一様に色あせたていたのだ。どうやら、台風の強風で傷んでしまったようだ。風下部分が、まだ色が鮮やかだったことがそれを証明しているようだ。

 

 ただ、前夜の続きで、空は見事に晴れ上がっていた。そこから眺める富士山も、裾野まですっきりと見通すことができた。おまけに、中腹には雲がたなびき、あたかも一幅の絵画を思わせる風情があった。ただ一つ残念だったのは、頂上には雪がなく、ややかすみがかったシルエットだけが浮かび上がっていた。今年の富士山は、彼岸花とともに色の点で多少物足りなさが残ったといえよう。

 

 この日も、慌ただしく過ごしているうちにいつの間にか夕暮れを迎えていた。やがて、東の空には月が出てきた。前夜に続いて、空は澄み渡り、それを遮るものはなにもなかった。富士山と同じように、雲がちょっとだけでもかかっている方が絵になるかとは思ったが、そのようなものはどこにも見当たらなかった。ただ、限りない深い闇の中に、くっきりと浮かび上がっているだけだった。

 

 かくして、十三夜と十四夜の名月を、二晩続けてカメラに収めたわけだが、これはあくまでも十五夜中秋の名月の予備として撮影したものである。事実、お天気は全国的に下り坂に向かっており、名月を楽しむことのできる確率は50%以下になると伝えられている。もし、お天気がだめな方に傾いたら、また一年間待たなければならないことになる。

 

 ここで、あらためて暦をつぶさに点検してみた。中秋の日に、月が完全な円になるのは21日の午前8時55分だそうだ。つまり、われわれが月を見ることのできる時間になると、満月を半日ばかり過ぎた月齢15.5日の姿ということになる。一方、昨夜眺めた月は満月直前の14.5 歳となる。かつて、十六夜の月も悪くないと書いたが、やはり十四夜の月の方が見応えがあるといえよう。

 

 たいていの場合、物事は頂点を過ぎたときよりその直前の方が魅力的である。月も、花も、人間もまたしかりである。そんな日が、頂点を過ぎた人をいたわる敬老の日に当たっていたとは、なんとも皮肉なことといわざるをえまい。

                      (2021年9月21日 藤原吉弘)

追伸:

 夕方から曇ってきて、中秋の名月を見るのはやはり無理かと思っていたら、偶然にも雲の間から顔を出した。なんとか写真にも撮れたので、十五.五夜の名月の写真を追加で掲載する。

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グラウンド・ゴルフ再開

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f:id:yf-fujiwara:20210917190920j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1063)9/17

グラウンド・ゴルフ再開

 

 晴れやかな顔、そして明るい表情。久し振りに穴蔵から出てきた人たちは、これ以上ないというほどの“いい顔”をしていた。たまの買い物以外、家から出ることはなく、人と話をする機会もない独居老人にとって、このクラブ活動がいかに大切なものか体全体でアピールしているようだ。

 

 緊急事態宣言の行方にかかわらず、私たちはグラウンド・ゴルフを再開するつもりだった。そして久しぶりに再開させた。これ以上閉じておくことの意義が見いだせない反面、弊害ばかりが心配されるようになってきたためだ。再開初日は、出席率は9割近かった。それだけみな待ちわびていたということだろう。

 

 この地域の中核住宅地はもと分譲地であるため、住民の多くは同世代の人たちで占められ、高齢化率は全国いずこの過疎地にも引けを取らない。男性会員は減少を続け、女性会員はそれに呼応するように独居老人が大半を占めるようになってきた。先が心配されるといったレベルをとうに過ぎている。

 

 市当局は、「認知症普及啓発キャンペーン」という奇妙な名称の認知症対策を打ち出しているが、個々人のレベルまでには届いていない。ここは、「頭を使う、気遣いをする、知らないうちに動き回っている」といった環境を整えてあげる必要があるのではなかろうか。ゲーム性を伴うグループ活動がいかに素晴らしいか、屋外での軽い運動がいかに有効か、当事者自身が身を以て証明している。

秋はそこまでやってきた

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秋はそこまでやってきた

 

 二百二十日も無事通り過ぎたので、これで一安心と思っていたのに、南方にある台風14号が急に右折して日本本土を直撃するかもしれないという。このところ不順な天候が続いたので、それで勘弁してもらえると思っていたのに、なかなかすんなりとは秋を迎えさせてはくれないようだ。

 

 一方、コロナ禍の第5波は、峠の先に希望の光が見えてきた。それにつれて、緊急事態宣言は昨日の12日でおしまいのはずだった。巣ごもりで、じっと我慢を決め込んできたことがやっと報われるはずだった。しかし、そう甘くはなかった。ぐずつくお天気同様、なかなかスカッとは晴れてくれないようだ。

 

 そんな中、今日、久し振りに青空が覗いた。明日からはまた、雲の多い天気が続くという。とにかく、いままでの鬱々とした気分を晴らそうと、早々に散歩に出かけた。驚いた。すぐ目の前のキンモクセイに花がついていたのだ。まだ香りは薄いが、開花は間違いのない事実だった。

 

 さらに足を伸ばしていくと、道ばたに彼岸花が咲いていた。まだほんの数輪だが周りにはたくさんの蕾が突き出ている。赤だけではない、白いヒガンバナまである。その隣では、中秋の名月に備えてススキが美しい姿を整えつつあった。

 

 彼岸の中日まであと10日、やはり秋は確実にやってきていたのだ。コロナ禍での巣ごもりも、“待てば海路の日和あり”といきたいものだ。

あれから20年・9.11

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f:id:yf-fujiwara:20210912133003j:plain[エッセイ 603]

あれから20年・9.11

 

 夜9時ごろだったと思う。風呂に入っていたら、家内が浴室のドアをたたき、「あのニューヨークの、ワールド・トレード・センターのビルに飛行機がぶつかったらしいよ」と大声で告げた。「間抜けなパイロットもいたものだな」とつぶやきながら風呂から上がってきた。軽飛行機でもぶつかったのだろうと軽く考えていたのだ。ところが、テレビ画面には想像を絶する光景が広がっていた。

 

 2001年6月24日、私たち夫婦は沖の小島に立つ自由の女神の見物に出かけた。観光を終え、連絡船でマンハッタン南端の船着き場に帰ってきた。ふと顔を上げると、女神が設置されているリバティ島から眺めたあのワールド・トレード・センターのツインタワーがすぐ目の前に立っていた。そうだ、あそこにも行ってみよう。空港と同じような保安検査を受けて展望台まで上っていった。

 

 その110階建てのツインタワーに、乗っ取られた旅客機2機が相次いで衝突したのはそれから僅か2ヵ月半後、2001年9月11日のことだった。アメリカン航空111便が乗客・乗員等92名を乗せてノースタワーに、つづいて、ユナイテッド航空175便が乗客・乗員等65名を乗せてサウスタワーに突っ込んだ。先に倒壊したのはサウスタワー、続いてノースタワーも崩れていった。

 

 ツインタワー関連の死者は、ビル内で働いていた人2,192名、消防士と警官414名、旅客機の乗員・乗客147名、それに犯人10名、合せて2,763名だった。ビル内で働いていた犠牲者には、日本人24名も含まれていた。このとき、ペンタゴンに突っ込んだ旅客機と原っぱに墜落した旅客機もあったので、同時多発テロと称される旅客機4機がからむ全体の犠牲者は2,977名にも上った。

 

 アメリカは、犯行は国際テロ組織アルカイダで、首謀者はオサマ・ビンラディン氏と断定した。米軍は、テログループをかくまったとして、アフガニスタンタリバン政権との長いながい戦いへと突入していった。2011年、アメリカの特殊部隊はオサマ・ビンラディン容疑者の殺害に成功した。

 

 アメリカは、一旦はタリバン政権を崩壊させたが、同国での戦いはその後も続き、結局、20年後の2021年8月末をもって撤収を余儀なくされた。ベトナム戦争の最後を彷彿とさせる結末であった。これから先、テロ組織は息を吹き返すのだろうか。アフガニスタン民主化は、女性たちの扱いはどうなるのだろう。

 

 私たちは、あの事件の5年後、2006年5月下旬に再びニューヨークを訪れる機会に恵まれた。そのとき、ニューヨークに着いたら真っ先にあの跡地を訪れたことは言うまでもない。地上にはなにもなく、地下部分の工事がたんたんと進められていた。私たちは、ただただ無言でそこに立ち尽くしていた。

 

 あの事件から20年、跡地には超高層ビルが再建され、その足下では節目の祈りが捧げられていた。これから先、世界は一体どう変わっていくのだろう。

                      (2021年9月12日 藤原吉弘)

重陽の日

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f:id:yf-fujiwara:20210909135121j:plain[風を感じ、ときを想う日記](1061)9/9

重陽の日

 

 今日は重陽の日、別名菊の節句と呼ばれる五節句の一つに当たる日である。その五節句とは、1月1日の元旦、3月3日のひな祭り、5月5日の端午の節句、7月7の七夕祭り、そして今日、9月9日の重陽の日である。このように、奇数が重なった日をおめでたい日として、昔から特別にお祝いしてきた。

 

 私の書いたエッセー145では、・・中国では9は最高に縁起のよい数字と考えられている。もともと、奇数は陽でありおめでたいとされているが、その中でも一番大きい9がもっとも縁起がよいそうだ。9は一桁数の終わりにあたることから、無限や再生を意味し、長寿若返りに通じるとも考えられている。

 

 こうして、究極の吉数が重なった9月9日が、1年で一番縁起のよい日ということになった。この日は、陽が極まって重なっていることから重陽(ちょうよう)の日と呼ばれ、季節の花である菊と結びついて菊の節句としてお祝いされるようになった。この節句の大儀は敬老であり、その願いは不老長寿である。・・

 

 ところが、日本では「9」は「苦」に通じることからあまり重用されることはないようだ。唯一、9月9日を「救急の日」として、一部の組織で特別扱いされている程度である。旧暦9月9日は、今年は10月14日がその日にあたる。菊の節句とも呼ばれるように、ちょうど菊が満開を迎えるころである。

 

 この日がめでたいかどうかはともかく、秋をそして菊をしっかりと楽しもう。