かつてのリフレッシュ・コース

[エッセイ 669]

かつてのリフレッシュ・コース

 

 まだ現役だったころ、そして引退後もまだいたって元気だったころ、リフレッシュするために数カ月に一度は一泊旅行に出かけていた。旅行といっても、行き先は箱根か山中湖周辺、そして場合によっては伊豆半島あたりである。今回、半年前にゴルフ・コンペでいただいた一泊宿泊券を利用するに当たって、かつてのリフレッシュ・コースを一回りしてみることにした。

 

 最初に向かったのは山中湖である。かつてこの湖畔には、お世話になった会社の保養所があった。立地条件、設備、そして料理ともに、私たち夫婦のお気に入りだった。数カ月に一度は出かけていた。そしてそのつど、山中湖はもとより河口湖など富士山周辺の景色を楽しんで廻った。もちろん、そこから近い忍野八海や花の都公園では、その保養所の付属施設みたいにさえ思って散策した。

 

 御殿場から138号線を北に上ると、突き当たりが山中湖である。そこを反時計回りに半周したところで、右方向に裾野を長~く伸ばした富士山を眺めるつもりだった。しかし、お目当ての秀麗は雲に隠れたままだった。諦めて花の都公園で当時の思い出に浸ることにした。わが家には、1999年12月11日と刻印されたダイアモンド富士の拡大写真が額縁に入れて飾ってある。24年前のこの日の夕方、沈む夕日をここから撮影したものだ。

 

 そんな思い出を胸に、138号線を引き返し、御殿場を抜けてそのまま山を登っていくと箱根の仙石原に着いた。お目当てのホテルはそのすぐ先である。まだ時間が早かったのでススキ草原に足を伸ばした。ちょうど見ごろで、平日というのに大変な人出だった。山裾の斜面を斜め直線に切り開いた砂利道を、ただひたすら上っていった。両側はずっと同じススキ風景ばかりが続いていた。登り切った先では、「終点・この先立ち入り禁止」という看板が通センボをしていた。

 

 翌日は、一番に大涌谷を訪ねた。ここには、家内や私自身の母も案内し、黒い温泉卵をみんなでほおばった思い出もある。もう四半世紀以上も前の話だが、訪れる見物客はいまでは様変わりしていた。なんと、見物客の半分以上が中国人観光客ではないかと思われた。報道では、中国はいろいろな思惑から日本を敬遠していると聞くが、ここでは中国語が当然のように幅を利かせていた。

 

 旅の仕上げは元箱根でまとめた。可愛い半島のように突き出た恩賜公園で、山中湖では見逃してしまった湖水越しの富士山を、芦の湖を前にじっくりと楽しむことができた。NHKの画面で、箱根神社の鳥居を配した成川美術館からの眺めが放映されることがあるが、それに勝るとも劣ることのない絶景である。

 

 かくして、わが家のリフレッシュ・コースを、今度は少し別の観点からなぞりながら元気よく楽しむことができた。

                     (2023年10月19日 藤原吉弘)