彼岸のころのわが家の催し

[風を感じ、ときを想う日記](1211)9/25

彼岸のころのわが家の催し

 

 わが家では、彼岸ともなれば、お墓参りはもとより最低でもあと二つの催し物に首を突っ込んできた。その一つは、彼岸花の名所に足を運ぶことである。わが家からわざわざ足を運んでいくのは、華やかな彼岸花の隊列の他に穏やかな田園風景と富士山の遠景が楽しめるからである。

 

 今年は、その花の開花状況とお天気の具合で結局今日になってしまった。ちょっと盛りを過ぎたかな?と心配しながら、小出川の土手に向かった。現地では、私たちの心配をよそにあの赤い絨毯の帯がはるか遠くまで伸びていた。そしてその先には、富士山のシルエットもくっきりと望むことができた。

 

 それに先立ち、昨日の日曜日は藤沢市民まつりに首を突っ込んだ。かつては、毎年必ず足を運んでいたが、コロナ騒動以来ずいぶん久し振りのことである。私たちのお目当ては各団体が繰り出すパレードである。その目玉は、各吹奏楽団の演奏と市内の神社から繰り出してくる何十基にも及ぶお神輿である。

 

 調子のいい吹奏楽には、久し振りに心を躍らされた。元気の塊のようなお神輿には、沸き立つ気持ちをさらに奮い立たせてもらった。見物時間は約1時間半、群衆に揉まれながらも、同じ姿勢で立ち尽くしていた。パレードが終わり、観衆の群れから離れてみると、全身の力が一気に抜けて建物の壁にもたれかかってしまった。ここ数年の体力の衰えをいやが上にも実感させられる結果となった。