百合

[風を感じ、ときを想う日記](1122)6/25

百合

 

 今日も、朝からよく晴れ上がり、梅雨時とは思えないほどの青空が広がっている。そんな天候のせいだろうか、梅雨の主役であるアジサイの花が、ピークを過ぎてすっかり色あせてしまった。早春から続いてきたいろいろな花のオンパレードも、このあたりで一段落ということになるのだろうか。

 

 そんなとき、人目を引いるのがユリの花である。「立てば・・、座れば・・、歩く姿はユリの花」と代表的な花の一つとして取り上げられるほどすてきな花である。自身も、過去に何度となく「ユリの・・」「・・のユリ」といって取り上げてきた。そういえば、漢字では百合と書くが、なぜそう書くのだったか、過去に詳しく書いていたはずなのにすっかり忘れてしまっている。

 

 そこで、かつて書いた自身のエッセーを検索してみた。・・ユリの球根は、鱗片とよばれるウロコのような形をしたものが、百枚近くも重なり合っていることから「百合」と書くようになった。・・とあった。さらに、百合の球根は、かつて絹に次ぐ二番目の主要な輸出品だったことも再認識させられた。

 

 そういえば、その花言葉は純粋、無垢、威厳などといわれ、ユリは気品に満ちたイメージとともに世界中で珍重されていたようだ。そのせいだろうか、Lilyという横文字にも、古くからそれなりに馴染みがあるようだ。いま、いろいろな色のリリーたちが、アジサイの後を引き継いでわが街の空間を彩っている。