カメラの買い換え

f:id:yf-fujiwara:20201110100516j:plain

f:id:yf-fujiwara:20201110100734j:plain
[エッセイ 571]

カメラの買い換え

 

 近所のザルギクを見に行ったとき、構えたカメラが壊れていることに気がついた。撮影したデータがメモリーに入らなくなっていたのだ。修理できそうな気もしたが、そんなことをしていたらザルギクの最盛期を逸してしまう。もう15年間も使ってきたのだから、ぼつぼつ卒業させてもいいだろうと思い新しいものを買うことにした。耐久消費財の買い換えは、今夏以来これで4件目、壁掛け時計、テレビ、そして芝刈り機に次ぐものだった。おかげで、政府からいただいた給付金など跡形もなく消え去ってしまった。

 

 今まで使ってきたカメラは、2005年6月にイギリス旅行に持参するために買ったものだ。このときからデジタル画像をブログにも取り込むことができるようになった。エッセー第99号「イングランド」がその第1作目にあたる。エッセー第1号は2002年11月だったが、その頃は旧式のカメラしか持っていなかったので、文字だけの無粋な編集にならざるを得なかった。

 

 それにしても、フィルムカメラからデジタルカメラに移ったときの衝撃はそれなりに大きかった。なにより、小さく軽くなったことだ。ポケットに入れて持ち歩くことができるようになった利点は大きい。ファインダーではなく液晶ディスプレーを見ながら撮影できるのも便利である。そこに映った映像がそのまま写真になるのも魅力的だが、その段階で不要な映像を消去できるのは極めて優れた使い勝手である。そして、デジタルカメラの最大の特徴が、撮影したデータをあらゆるデジタル機器に接続できることだ。私のブログが写真で色づけできるようになったことこそ、その最たる特徴といえよう。

 

 今度新しく手に入れたものは、15年前に買って今まで使いつづけてきた機種の後継機である。その中でも、ズーム倍率の大きいものを選んだ。平素はそれほど感じないが、中秋の名月や雪を戴いた富士山を撮るとき、いつも倍率の高いものがほしいと思っていたからだ。さらには、花火や夜景の撮影などにもその機能に大きな進化が見られる。そして、一番嬉しかったのが、今まで不満に思っていた液晶ディスプレーが大きく明るくなって見やすくなったことである。

 

 先日投稿したブログ「ザルギク満開」に添付した写真は新しいカメラで撮った最初の作品である。そして昨日、今度は背の高いコウテイダリアの撮影に出かけた。長く伸びた茎の先端に咲く薄紫色の花は、民家の二階の窓わきにまで達し、初冬の柔らかい陽光を浴びてやさしく輝いていた。新しいカメラは早速その機能を発揮した。はるか高いところにある花が、すぐ手元にあるように間近に撮れた。しかも、手ぶれなどみじんも感じさせない出来映えだった。

 

 これからは、カメラの機能に負けないよう、写真の腕にも磨きをかけて、多くの人に納得してもらえるような作品に仕上げていきたい。

                     (2020年11月10日 藤原吉弘)