本地垂迹説って?

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[風を感じ、ときを想う日記](281)7/11
本地垂迹説って?

エッセイ「高野山」を書くにあたって参考とした資料を紹介する。

[神職の友人が提供してくれた本地垂迹説の解説]
 仮の姿云々は周知のこととして、垂迹とは日本の衆生を救済するためにこの世に現れるの意。
 本地・垂迹は本来、天台宗において「法華経」の如来寿量品における久遠実成の釈迦(歴史を超越した永遠の釈迦)と、始成正覚の釈迦(歴史的実在の釈迦)を弁別するために用いられた語である。

 本地垂迹説はこれを日本の神仏関係に応用したものである。説の初見は天長2年(825)頃とされる。平安末期には伊勢の本地が大日如来、白山の本地が十一面観音菩薩とするなど、神社の祭神の本地に仏菩薩が充当されるようになった。(白山=加賀・越前・美濃に位置する御前峰・大汝峰・別山の総称)

 鎌倉末期から南北朝時代にかけては、神国思想の流行とともに神こそが本地で仏は垂迹であるという神本仏迹説が光宗編「渓嵐拾葉集」などに唱えられ、近世の山王一実神道などに継承された。(参考文献:神道辞典)

 [漢字の読み方] *本地垂迹説=ほんじすいじゃくせつ、*如来寿量品=にょらいじゅりょうほん、*久遠実成=くおんじつじょう、*始成正覚=しじょうしょうがく、*御前峰=ごぜんぽう、*大汝峰=おおなんじみね、*別山=べつざん

[広辞林の用語についての解説]
)榁蓮仏・菩薩が衆生を救済するため仮の姿をとって現われた垂迹身に対して、その根本の真実身である。

⊃硴顱ы顱覆△函砲鬚燭譴襪琉奸J・菩薩が衆生を救うために、仮に神の姿を示すこと。

K榁録硴顱А福嵜硴顱廚呂△箸鬚燭譴襦△垢覆錣岨僂鬚えて現れる)本地である仏・菩薩が衆生を救済するために、仮の姿をとって現れること。わが国では神として現われたとされた。

に榁録硴饑癲本地垂迹を説き、神仏同体を唱えた説。わが国では奈良時代から説かれ、平安時代末期に盛んになった。

ニ榁録硴駟:本地垂迹説により、神の本地である仏・菩薩。たとえば八幡宮本地仏阿弥陀如来だとする。平安時代から起こった信仰による。

κ陀:宇宙の真理を悟りつくして、他の衆生を教え導くもの。最初は釈迦だけであったが、大乗仏教の発達とともに無数の仏陀を認めるようになった。

菩薩:仏に次ぐ位置。

┸澄日本神話で神武天皇の建国以前に、高天が原やわが国土に住んでいたとされる人物。神社に祭られた霊

神仏混淆本地垂迹説に基づいて、仏教の思想で神道を解釈、神仏を同じところに祭って区別しないこと。