恐山

イメージ 1

[エッセイ 176](新作)
恐山
 
 立派な舗装道路を登っていくと、やがてバスは峠を越え下りに入った。湖畔まで下りきると、赤い橋のかかった小さな川があった。このたいこ橋は、地獄に送られる人にとっては針の山にも見えるそうだ。北東北の旅3日目は、一度は訪ねてみたいと思っていた下北半島の恐山(おそれざん)にやってきた。
 
 三途の川ともいわれるその正津川を渡ると、そこは日本三大霊場の一つ恐山菩提寺である。西暦862年、慈覚大師によって開かれた。山を背に、前面には宇曽利湖という湖が広がっている。緑のまったくない、荒涼とした場所である。あたりには、鼻を突くような硫黄の匂いが立ち込めている。

 本堂の左側は、溶岩でできた小高い丘になっている。一目で賽の河原とわかる。あちこちに小石が積み上げられ、赤い風車が立てられている。死者のために供えられたものだという。そのあいまには、鮮やかな衣を着せられたお地蔵様がまつられている。それらの色あせた赤が、黒い溶岩に不気味に映える。

 丘を越え、平坦な場所までおりると、血の池とよばれる赤い小さな池がある。丘の反対側の斜面には、あちこちに名札がたくさんまつられている。表札を外してきたようにも見えるが、すべてフルネームなので死者のために特別に作られたもののようだ。

 それにしても静かである。広漠とした寺域に、人影などどこにも見当たらない。それになんという明るさであろう。目の前には広大な湖水がひろがり、頭上からは初夏の太陽がさんさんと降り注いでくる。宗教画の、あの賽の河原をイメージしていただけに、この明るさはなんともまぶしすぎる。

 そういえば、あの有名なイタコの姿が見当たらない。イタコとは、あの世とこの世を結ぶ媒介者のことである。神職の友人は、私がイタコに会えなくて残念がっているのを知り、その霊能者についての解説レポートを送ってくれた。

 こうした媒介者のことを、彼は巫覡(ふげき)と呼んでいる。・・巫覡とは、神霊の力を受けて託宣を伝えたり、死者の霊を降ろして語ったりする宗教者のことである。神霊や死者霊に依頼して、自分の心身を自発的・意図的にその宿り場として乗り移らせることができると信じられている。(神道辞典の要約)

 聞けば、イタコは土日に1人だけ店を開けるそうだ。口寄せ料金は1回3,000円が相場だという。あとのイタコは年2回、恐山大祭と恐山秋詣りのときにかぎり店開きするということだ。

 イタコといわれる人たちもだんだん減って、今では16名だけになったそうだ。この世界でも、ご多分にもれず高齢化が進んでいるらしい。社会が豊かになるにつれ、霊力を持つ人もめっきり少なくなってきたようだ。
(2007年7月9日)