清明

[風を感じ、ときを想う日記](1181)4/5

清明

 

 今日は、二十四節気でいう「清明」にあたる。ものの本にも、すべてが清らかに見える時節とあった。たしかに、ここ数日の空模様は、その言葉にぴたりと当てはまるほどすばらしい明るさに満ちたお天気だった。

 

 天は高く透き通り、風は穏やかで埃一つ舞っていない、頬を撫でるそよ風は暑くも寒くもなく心地よさにみちている。山野には新緑が満ちあふれ、可憐な花々をさりげなく引き立てている。まさに、この季節は清らかで明るさに満ちみちている。時候の特徴を前向きに表現するとしたら、これ以上の言葉はどこを探しても見つけることはできそうにない。

 

 試しにと、わが家の辞書でこれらの言葉の意味するものを調べてみた。清いとは、“汚れや濁りそれに曇りがない”“邪念がない”“潔白である”“純粋である”などとあった。一方の明るいとは、“光がある”“光の量が十分あってものがはっきりよく見える”“気持ちやふんいきが晴れ晴れしていて楽しい”“楽しそうである”“明朗だ”“公明で陰険なところがない”などと説明されている。

 

 これら清と明の二つを合せたのが清明で、これ以上表現しようがないという季節に対する最高の賛辞である。そんな清らかで明るさに満ちた環境にどっぷりと身を置いて、心身ともに洗い直してみてはどうだろう。きっと、新たな未来が開けてくるはずである。