[エッセイ 624]
アルゼンチン・タンゴ
先週、日曜夜のNHKクラシック音楽館は、再放送ながらアルゼンチン・タンゴの特集を2時間もたっぷりとやっていた。バンドネオン奏者のアストル・ピアソラ(1921~1984)の生誕100年を記念してのものだった。アルゼンチン・タンゴが下火となり、NHKでそれを聴くのもめったにないことだが、あの南米のポピュラー音楽もとうとう「古典音楽」に祭り上げられたのだろうか。
私が初めて上京した昭和30年代の初めごろは、外国音楽の最盛期だった。アルゼンチン・タンゴにも多くの愛好家がいた。私も、それを聴くために、友人と誘い合わせては新宿コマ劇場の斜向かいにあったラ・セーヌという音楽喫茶に出かけていった。早川真平とオルケスタ・ティピカ東京というバンドに藤沢嵐子と菅原洋一の歌が加わって、あの歯切れのいい音を響かせていた。
社会人になってからは、会社の先輩に誘われてダンスホールにも出かけた。私はあまり踊れなかったが、生バンドを聴くだけでもそれなりに楽しかった。新橋駅付近には、全線座とフロリダの2軒があった。なかでも、銀座8丁目の全線座はタンゴバンドが常駐し踊りのうまい客が多かった。それでも、タンゴが始まると、フロアは急に空いてきた。踊りに自信のある人があまりいなかったのだ。
そのタンゴについては、いっぱしの愛好家のつもりでいたが、深い知識はあまり持ち合わせてはいなかった。バンドネオンが主役の、アルゼンチン生まれのポピュラー音楽。音楽そのものはもちろんだが、踊りのための脇役という要素がきわめて大きい。それがヨーロッパに渡り、コンチネンタル・タンゴと呼ばれる音楽も生まれた。といった程度で、あまりにも貧弱なものだった。
そこで、ネットで関連資料を当たってみた。アルゼンチン・タンゴの起源はスペインで、踊りのための音楽だったらしい。そのスペインから、18世紀後半に現在のアルゼンチンとウルグアイにまたがるラプラタ川河口付近の植民地に伝わった。この辺りに住むスペインやイタリアからの貧しい移民の、フラストレーションのはけ口として愛され発展してきたようだ。その過程で、カンドンベ、ミロンガ、ハバネラなどと混ざり合って新しい形態が生まれてきたらしい。
やがて、ギターとフルートとヴァイオリン、それにバンドネオンという形が出来上がった。さらに、ピアノ、バンドネオン、ヴァイオリン、コントラバスという組み合わせに進化していった。20世紀半ばになると、アルゼンチン経済の発展とともにタンゴも黄金期を迎える。そして、戦後日本にも移入され、昭和30年代には最盛期を迎えるが、やがて下降線をたどっていくことになる。
いま、記憶に残るのは「黒猫のタンゴ」くらいである。あの、「ラ・クンパルシータ」が華やかに響き渡る日が再びやってくることを期待したい。
(2022年3月8日 藤原吉弘)