TOKYO 2020を振り返って

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[エッセイ 599]

TOKYO 2020を振り返って

 

 コロナ下で断行された17日間の東京オリンピックが終わった。前回、57年前の大会のときは、国立競技場の脇を走る中央線で毎日通勤していたが、オリンピックとはまったく無縁の生活だった。猛烈に働くことが奨励され、残業も深夜まで続いたので、テレビ観戦さえ叶わなかったのだ。それに引き替え、今回は巣ごもりが奨励されたこともあって、テレビ桟敷にかじりつきとなった。

 

 今回の東京大会は、半世紀以上の時を経て大きく変化していた。大会日数は15日間から17日間へ、そして競技種目は163種目から339種目へと増えた。今回初めてお目見えした種目だけでも空手、スケートボード、スポーツクライミング、そしてサーフィンがある。参加国も93ヵ国・地域から206ヵ国・地域へ、そして参加選手数は5,152名から11,092名へと倍増していた。

 

 それにしても、今回は異例ずくめの大会となった。1年延期に始まり、開会直前まで中止も検討されていた。観客も入れる入れないでぎりぎりまでもめ続けた。そして真夏に行われるということから、マラソンなどは札幌に移ることになった。ところがその札幌も酷暑が続き、当日は多少涼しくはなったとはいっても、結局、106名中30名もの途中棄権者を出すにいたった。

 

 あいにくといおうか、コロナ禍の第5波が、開幕を待ちかねていたかのようなものすごい勢いでこの列島に襲いかかってきた。そんなことから、開催場所は完全防御の隔絶された場所とせざるを得なかった。刑務所のような高い塀で囲まれたところか、あるいは絶海の孤島で行われているようなものだった。開催地は東京といっても、まったく別の世界で行われているのと同じことだった。

 

 それでも、始まってみると、夢のような素晴らしい物語が次々と生まれた。柔道の阿部兄妹とレスリングの川井姉妹による金メダルの揃い踏みは、初めて目にする感動的なドラマだった。また、スケートボードの幼ささえ残る若い金メダリストの誕生は、日本の将来に大きな希望を持たせてくれた。その一方、体操の内村選手など、連覇を果たせず寂しく去っていった姿もみんなの涙を誘った。

 

 それにしいても、柔道の躍進ぶりは見事だった。獲得した金メダルは9個に及んだ。おかげで、日本の獲得メダル数は、金が27個、銀が14個そして銅が17個、合計で58個にも達した。国別の金メダル獲得数は、アメリカの39個、中国の38個に続いて第3位となり、開催国としての面目をしっかりと保った。

 

 コロナ下、1年遅れ、そして酷暑という最悪の条件だったが、ボランティアの活躍も含めてみなよく頑張った。やはり、世界に誇れるニッポンであった。来日してくれた選手たちとは距離を置かなければならなかったが、世界の人々と日本人との距離は大きく縮まったのではなかろうか。

                          (2021年8月9日 藤原吉弘)