手作業の確定申告

[風を感じ、ときを想う日記](1234)2/10

手作業の確定申告

 

 所得税の確定申告は毎年2月上旬には済ませるようにしている。それも、手書きとし、わざわざ税務署に持参している。一時は、税務署のお勧めに従いe-Taxで対応していたが、あえてそれ以前のやり方に戻したのだ。今回も、三連休に入る前にそれを済ませておこうと思い、手作業に精を出した。

 

 税務署のお勧めの理由は、持参不要、郵送代不要、添付書類提出不要、そして期間内は24時間利用可能というものだった。しかし、実際にやってみて、あまりにも簡単すぎて途中経過を理解しないまま結果が得られることになる。これでは納税者として納得がいくわけがない。

 

 今回も、厚生労働省企業年金基金発行の源泉徴収票から、収入金額、納税金額、それに介護保険料と医療保険料を基本データとして求めた。あとは、手元の資料から医療費とふるさと納税、さらには復興特別所得税を差し引いて最終的な確定税額を導き出すことにした。

 

 もちろん、昨年分も税金は払いすぎていたので、ほぼ例年並みの金額が還付されることになった。それにしても、医療費が大きく跳ね上がっているのに還付金はむしろ減り気味になっている。さらには、復興特別所得税がいまだに存在していることにも驚きを覚える。今回も、こうした税の仕組みが明確に理解できた。

 

 やはり、確定申告はペン片手の手作業・“ペンタックス”にかぎる。

季節の変わり目

[風を感じ、ときを想う日記](1233)2/6

季節の変わり目

 

 3日の土曜日は節分、4日の日曜日は立春、そして5日の月曜日は初雪だった。こう書き並べてみただけで、なにかとても慌ただしい気分にさせられてしまう。寒いとはいえ安定した冬の時節から、希望に満ちた本格的な春へと向かって、どんどんと変化していく季節の激変期に入ってきたのだ。

 

 節分の日には、遊行寺の豆まきに参加するつもりでいた。しかし、すぐにあきらめた。この日は土曜日で、若い屈強な男が多数参加する可能性がある。そうなると、危なくて豆拾いどころではなくなる。最近は足腰が衰え、体力勝負が多少なりとも危惧されるところには近寄らないようにしているのだ。

 

 翌・立春の日は、イブの賑やかな行事にお株を奪われ、反対に静かな日曜日となった。スーパーの売り場を賑わした恵方巻の山はどこかへ姿を消し、特設売り場はチョコレート一色に様変わりした。しかし、一時の義理チョコブームは去って、店側の期待どおりには事は運ばないのではなかろうか。

 

 そして昨日月曜日、予報どおり南岸低気圧がやってきた。この辺りでは今年初めてのことである。水分を含んだ雪がどんどん積もり、夜には雷の音まで加わって初雪を盛り上げた。この一ヵ月あまり、能登半島地震一色だったニュースは、首都圏の大雪の話題がその多くの部分を奪い返していた。

 

 明日からは、名実共に春の穏やかな日和が続くという。

スパゲッティ

[エッセイ 677]

スパゲッティ

 

 わが家では、昼食によく麵類をいただく。そのメニューは、季節や前夜の献立によって大きく左右される。寒いときは、前夜いただいたなべ物のつゆを利用したうどん、そしてなべ物でないときはスパゲッティをいただくことが多い。それらの麵は、温かくなってくると蕎麦に、夏になると素麺に変わる。いまは一番寒いときなので、麵類はうどんかスパゲッティということになる。

 

 今日のお昼は、前夜がなべ物ではなかったのでスパゲッティということになった。わが家のそのメニューはきまってミートソースである。もちろんそれが一番好きだからである。買い置きの乾麺を5分程度茹で、平らな皿に盛る。後は、出来合いの市販のソースをお湯で温めて麵にかけるだけである。まだ温かいうちにいただくと、専門店に負けないディリシャスな出来映えとなる。

 

 スパゲッティといえば、かつてはナポリタンが主流だった。あれは30数年前、イタリアのツアーに参加したときのことだ。オプショナルツアーでポンペイの遺跡に足を伸ばした。その日の昼食は、隣接するナポリ市内のレストランでいただいた。出されたのは、当然のことながら“ナポリタン”だった。そのときは、本場物はさすがに美味いと感心した。しかし、後になって調べてみたら、ナポリタンは日本人の考案で、普段イタリアでは食べられていないということだった。

 

 スパゲッティはパスタの一種である。断面が円形で、ひも状になったものをその太さで呼び分ける。普通、スパゲッティとは直径1.9~2ミリのものをいう。それより太いものはスパゲット、さらに太いものヴェルミチェッリとよぶ。反対に、細いものスパゲッティーニ、さらに細いものはカペッリーニと呼ぶそうだ。パスタには、こうしたひも状の長いものだけでなく、筒状のマカロニや蝶のような形をしたファルファッレなどのショートパスタも各種ある。

 

 話をスパゲッティに絞ろう。スパゲッティのメニューはソースや一緒にあえる材料によって呼び分けられている。本場のメニューとしては、ボロネーゼ、カルボナール、ヴォンコレ、ペペロンチーノ、ブッタネスカ、アラビアータ、ネーロなどが上げられる。一方、和風では、ナポリタン、たらこ、和風きのこ、納豆、それに餡かけや鉄板などがある。

 

 ところで、わが家でミートソースをいただくときは、ちり紙をヨダレカケのようにあごの下に引っかけておく。ソースをたっぷりとかけるので、ピンクの汁が衣類に飛び散るのを防ぐためだ。あの液体は、洗濯してもなかなか落ちないのだ。

 

 あと数日のうちに立春を迎えるが、わが家でざる蕎麦や素麵をいただくのはまだだいぶ先のことになりそうだ。ヨダレカケのお世話になりながらイタリア料理に舌鼓を打つ、そんな光景がいましばらくは数日おきにやってきそうだ。

                       (2024年2月1日 藤原吉弘)

生け垣の花の棄却処分


[風を感じ、ときを想う日記](1232)1/29

生け垣の花の棄却処分

 

 わが家の生け垣に咲く赤いサザンカの花はどうやら峠を過ぎたようだ。開花から1カ月以上が過ぎ、花たちにもさすがに疲れが出てきたのだろう。華やかで美しかったそれらの花は、色あせ醜ささえ感じさせるようになってきた。こんなに長い間咲き続ければ、どんな花だって限界を迎えるのは当り前である。

 

 そこに深刻なダメージを与えたのが一週間前の大雨である。強い風雨にたたき落とされた花びらは、足下に無造作に散らばり、街路などあたり一面を汚した。木に残った花びらも、その多くは茎から離れ葉っぱにへばりついているだけだった。色あせ、散り損ねた花びらには嫌悪感さえ覚えさせられてしまう。

 

 枝や葉っぱの水滴が乾くのを待って、そこにしがみついている花びらを揺すって落とした。残っているものも、見切り時と判断されるものは容赦なく摘み取った。しかし、ピークを過ぎた花たちは落花にも加速がついてきたようだ。一日おき、場合によっては毎日、その足下を掃除しなければならなくなった。

 

 どうやらその時がやって来たようだ。お天気がよく、比較的温かい日を選んで、花びらを全部もぎ取ることにした。脚立を持ち出し、垣根のてっぺんから順次もぎ取っていった。花びらはもちろんつぼみも例外なしである。

 

 かくして、家を囲っていた花々はすべてなくなった。いまは、あのつややかな葉っぱの生け垣が、わが家を静かに護ってくれているだけである。

落葉樹に咲く早春の花


[風を感じ、ときを想う日記](1231)1/23

落葉樹に咲く早春の花

 紅葉が終ってからというもの、頭上の空間は大きく開けてはきたものの、枯れ枝ばかりでただただ寒々しいばかりだ。それが、年が明けてからは、次からつぎへと色づきはじめてきた。最初は、赤や白の小さな点の集まりだった。それが、日々存在感を増し、最近では華やかな大きな塊へと進化してきた。

 

 そうした紅や薄桃色のかたまりは、お正月の頃にはまだ散在する程度だった。そのうち、白い大きなかたまりも加わってさらに賑やかになってきた。この時期のこれらの花は、紅も白も薄桃色ももちろん梅の花である。興味を引くのは、これらの仲間に薄桃色の十月桜が仲間入りしようとしていることである。もちろん、散在という程度で存在感を示すところまでには至っていない。

 

 そして、最近では黄色い塊も散見されるようになってきた。蝋梅(ロウバイ)と呼ばれるウメによく似た花である。その花びらが蝋細工のようだとしてそう呼ばれるようになった。ただ、ウメや十月ザクラがバラ科サクラ属であるのに対し、ロウバイクスノキの仲間でその呼び名とはまったく別の種類である。

 

 この時期、サザンカやツバキなど木に咲く花は他にもあるが、いずれも葉っぱが茂り、花はその陰に隠れていていたって地味である。劇的な開花と華やかさにおいてウメたちとは天と地ほどの開きがある。やはり、裸の枝にまとまって花を付ける落葉樹の早春の花は、私たちに大きな希望と強い勇気を与えてくれる。

七福神めぐり・完歩の巻


[風を感じ、ときを想う日記](1230)1/18

七福神めぐり・完歩の巻

 今年は龍の年、七福神めぐりで残った2つの聖地はいずれも龍と大変な関わりのあるところだ。ついては、今回の終盤はその龍にこだわる旅としてみた。

 

 最初に訪れたのは、毘沙門天がまつられている日蓮宗の本山・寂光山龍口寺である。日蓮宗の開祖、日蓮があわや処刑されそうになった、伝説の龍口刑場跡地に建つ寺院である。その本堂に、七福神の一つ毘沙門天がまつられている。龍とどのような関わりがあったかさだかではないが、地名がずばり龍の口であることから、どうしてもそれに拘ってしまう。

 

 今回、最後に訪れたのは江の島である。ここは、七福神唯一の女神である弁財天がまつられている。島の各所に龍にまつわる伝説があり、その絵や彫刻もたくさん残っている。藤沢市発行の、今年最初の「広報ふじさわ」には、江の島の「龍」がたくさん紹介されている。弁天橋たもとの石灯籠、参道入り口の青銅製鳥居の額、中津宮の拝殿正面、銭洗いの池の飾り、水琴窟の蛇口、奥津宮の石灯籠としゃもじ、龍宮の入口正面、そして岩屋の奥の龍の像である。

 

 例年、弁財天にお参りした後は島の頂上まで登り灯台脇で湘南の町並みと相模湾の絶景を楽しんでいる。しかし、今年は広報誌に紹介されていたこともあって、島の一番奥まで足を伸ばし奥津宮と龍宮にもお参りした。衰えた足に大きな負担となったが、とにかく完歩できたことを心から喜んでいる。

 

後半部分の写真の紹介

・龍口寺の正門

・島へ渡る橋のたもと両脇に立つ「龍灯」

・青銅鳥居の額縁

・石段踊り場の額の彫刻

・銭洗い池の龍の像

竜神大神入り口の龍の像

小田急片瀬江ノ島駅

 

七福神めぐり・中盤の巻

[風を感じ、ときを想う日記](1229)1/15

七福神めぐり・中盤の巻

 

 スタンプラリーへの挑戦を始めて2日後のこと、家の中で転んで肋骨を強打してしまった。ガスストーブのホースに足を引っかけ、倒したストーブの背面に無防備のまま倒れ込んだのだ。整形外科でレントゲン検査をしてもらったが、さいわい骨にひびは入っていなかったようだ。しかし、痛みは一向に衰えず、なにかしようという気力は衰えたままになっている。

 

 5日目の今朝、天気予報は終日の好天を強調していた。そうだ、あのままになっている七福神めぐりを今日あたり再開すべきではなかろうか。脚力に自信がない、強打した胸が痛む、などといつまでも弱音を吐いている場合ではない。やれるところまでやればいいではないか。そう考え、スタンプシートとカメラ、それに水筒を持ってとにかく家を出ることにした。

 

 歩いてみたら結構いけた。最初のポイント・常光寺(福禄寿)には30分で着いた。次は、藤沢橋の先にある諏訪神社(大黒天)と感応寺(寿老人)、それに遊行寺にひとくくりでお参りした。遊行寺にはポイントはないが、目の前まで行って挨拶なしというわけにはいかないためだ。帰途、白旗神社毘沙門天)にお参りして今日の予定である5ポイントを完全にクリアした。

 

 残るは海の近くの2箇所、龍口寺(毘沙門天)と江島神社(弁財天)である。わが家からは距離があるので、電車も利用して近々お参りするつもりである。