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[エッセイ 473]


 今朝も、朝食のお供にはナシが添えられた。白い果肉、透き通った甘い果汁、目覚めの食卓を飾るに相応しいみずみずしさである。昔は、あのザラザラとした砂をかむような食感にいまひとつなじめなかった。ところが、品種改良の進んだ昨今のナシは、さわやかな歯触りがその良さをいっそう際立たせてくれる。

 上京したてのころは、世田谷の千歳船橋に住んでいた。たまに、小田急線で多摩川を渡り、登戸あたりまで足を伸ばしてみた。土手に沿って歩くと、辺りは一面のナシ畑だった。もともと、関東地方はあのザラザラとした長十郎ナシの本場だったはずだ。ただ、その後、工場や住宅が進出し、新しい品種にも押されて長十郎のナシ畑はほとんど見かけられなくなった。

 あるとき、二十世紀と呼ばれるナシを口にして強い衝撃を受けた。ザラザラ感がほとんどなく、みずみずしさが口いっぱいに広がってきたのだ。同じナシでありながら全く違った食感だった。松戸市で発見され、鳥取県を中心に盛んに栽培されるようになったこの品種は、一時は国内市場を席巻したはずである。

 ナシはバラ科の落葉高木である。果樹として育てる場合は棚作りにされることが多い。消毒や剪定、さらには袋かけから収穫まで、手入れや作業を容易にするためであろう。葉は卵形で先がとがり、春白い五弁の花が集まって咲く。果実は球状で大きく、皮には小さな斑点がある。

 品種は、和ナシ、中国ナシ、そして洋ナシに大別できる。さらに和ナシは、赤ナシ系と青ナシ系に分けられる。最近の品種で赤ナシ系といえば、幸水、新高梨が挙げられる。青ナシ系では、二十世紀、菊水、香水、豊水などが該当する。いずれも大玉でみずみずしさが売り物のようである。

 ところで、「なし」のつく言葉を辞書で引くと、「なしのつぶて」や「なしじ」などが散見されるがそれほどの数は見当たらない。そんな中で、「梨園(りえん)」という言葉だけは際だって印象的である。日本では、俳優の社会、とくに一般社会とかけ離れた特殊な存在として、歌舞伎俳優の社会を指すことが多いようだ。

 この梨園の由来は、唐の玄宗の時代(712年~756年)にまでさかのぼる。唐の都長安の郊外に、音楽教習府と呼ばれる施設が設けられた。それが置かれていた庭園にはナシが植えられていたことから、別名を梨園と呼んだ。そこに有望な芸人たちが集められ、芸を徹底的に磨かせられたという。玄宗皇帝も音楽や舞踏の愛好家で、皇帝自身も芸人の指導に当たったと伝えられている。

 わが家の朝食には、必ず果物類のお供がつけられるが、秋はなんといってもナシが中心である。あの透明感あふれるみずみずしい果汁は、始動したばかりのエンジンの回転数を上げるに、欠かすことのできない貴重なエネルギー源である。
(2017年10月19日)