忘年会

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[エッセイ 362]
忘年会

 暮れの大掃除をしていたら、隠し芸のハウツウ本が出てきた。半世紀近くも前の古いものだ。珍芸・手品・お座敷遊び、ものまね・口上、舞・おどり、浪曲・落語、小唄・都々逸そして各地の民謡まで、あらゆる分野にわたって詳細に織り込まれている。逆に、まったく見当たらないのがカラオケである。

 若いころ、会社の忘年会といえば会場はお座敷、宴もたけなわになると隠し芸の一つも披露しあうというのが通例だった。お酒は飲めない、芸の一つもできないでは出世にも響く。無駄と知りつつ、本を頼りに密かに腕を磨いていたようだ。そのころ、もう一つ大変だったのが、若手に任せられる幹事役だった。店選びから予算のやりくりまで、仕事以上にきつい思いをさせられた。

 その忘年会とは、一体何なのだろう。辞書によると、「年内の苦労を忘れるための年末の宴会」とあった。忘年会は、古くは鎌倉時代からあったというが、庶民の間で飲み会として行われるようになったのは江戸時代に入ってからのようだ。そんなさばけた時代になっても、武士の社会には広まらず、新年会という主君に忠誠を誓う儀式しかなかったという。

 いまのようなスタイルが生まれたのは明治時代になってからだ。中央官僚たちの、暮れのボーナスが出たあとの飲み会が始まりらしい。国外に目を転じると、中国には年夜飯、台湾には尾牙、そして韓国には送年会という忘年会によく似た年末の宴会があると聞く。しかし、こうした宗教行事とはあまり関係ない宴会は、東アジア以外の地域ではほとんど例を見ないという。

 いつの時代も、庶民は生きることに精いっぱいである。仕事に、家事に、人間関係に、そして常について回るのが家計のやりくりである。せめて一年の終わりくらい、何もかも忘れて楽しい時間を共有したい。誰もが望む、大ぴらに許されるささやかな贅沢である。それが節目となって、新しい年に向けてのエネルギーがわいてくればそれなりに意義があったといえよう。
 
 忘年会は、職場単位に無礼講で行われることが多い。普段隠されている意外な一面が現れるのもこんな機会だ。本音のぶつかり合いで互いの距離は一気に縮まり、コミュニケーションは格段に強化される。反面、武勇伝や失敗談もつきものだ。最悪の場合喧嘩沙汰にまで発展することさえある。最近は世相を反映してだろうか、豪傑は減り宴席での隠し芸もあまり見られなくなったという。もっぱらカラオケへと急ぐのが当世の潮流かもしれない。

 この一年のことを忘れるといっても、忘年にかこつけて失敗までなかったことにしてしまったのではまた同じ過ちを繰り返すことになる。事実は事実として率直に受け止め、その反省の上に立って新しい年に望むべきではなかろうか。
(2012年12月29日)