梵鐘

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[エッセイ 167] (新作)
梵鐘
 
 雑木林の中に、無人の神社がぽつんと建っている。私の好んで出かける散歩道の途中である。鳥居の脇には鐘楼があり、昭和29年奉納と刻まれた立派な梵鐘が吊り下げられている。金属類の盗難が相次いでいる時だけに、悪いやつに盗まれるのではないかと心配でならない。
 
 日本が不幸な大戦にむけて突入していった昭和16年、「金属類回収令」というのが公布された。金属が極端に不足し、それを補うために各家庭の鍋釜の類まで供出させられた。もちろん、お寺の梵鐘もその対象になった。

 戦争が終わり、世の中が落ち着いてくると、鐘楼に梵鐘を戻す運動がはじまった。新調された梵鐘は、稚児行列に伴われて街を練り歩き、空になっていた鐘楼へと納められた。「鐘引き」と呼ばれ、一種の社会現象にまでなった。くだんの神社の梵鐘も、そんなご時世のなかで奉納されたものと思われる。

 梵鐘は、仏教とともにインドから伝来したものである。当初は、仏教の教団生活を規制するための重要な法具であった。しかし、いまでは単に寺のありかを示す象徴的な存在となってしまった。

 梵鐘は、口径1尺8寸(約54、5センチ)以上の大きなものをいう。材質は青銅製が一般的である。日本書紀には、高句麗から最初に日本に持ち込まれたのは562年だったという記録がある。現存する日本の最古のものは、698年に造られた京都・妙心寺の国宝の梵鐘だそうだ。国宝は、鎌倉の円覚寺建長寺、あるいは福井の剣神社などにもあり、全国で13に上るそうだ。

 ところで、散歩の道すがら、くだんの神社に梵鐘があるのをみていつも不思議に思っていた。ついでのとき、神職の友人にそのことを聞いてみたら、それほど不自然なことではないとの見解をもらった。

 彼によると、明治維新神仏分離令が発せられるまでは、神仏習合神仏混淆が普通であったので、その名残と解すのが妥当であろうという。日本人の宗教に対する曖昧さが、神社に鐘楼を建てる違和感を持たせなかったのではないかとも付け加えてくれた。なるほど、外国では宗教的な対立が深刻な事態に発展することがあるが、日本ではまず考えられないことである。

 毎年4月27日は、道成寺で「鐘供養」が行われる日だそうだ。和歌山県川辺町にある、あの安珍清姫で有名な名刹である。安珍という僧が、熊野への参詣の途中で宿をとった家の娘・清姫に惚れこまれ、ストーカーされる話である。

 逃げ惑い、道成寺の鐘の中に隠れているところを、蛇に化身した清姫に恋の炎で焼き殺されるという結末である。

 世の中、あまり深刻にならず、多少曖昧な方がうまくいくのかもしれない。
[2007年4月27日]